失意の宣長 17歳の地図

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この地図を作った時の宣長は17歳。松阪商人の名門小津家に生まれ、11歳で父親を失った。16歳で叔父の江戸の店で修業を始めたが、1年しか持たずに帰ってきた。商人失格の烙印(らくいん)を押されたのと同様で、面目なくて外も出歩けず、2年半ほど自宅で引きこもる生活を送った。地図は帰郷して約1カ月で、もくもくと作り上げたという。
その後、19歳で伊勢の商家に養子に出るが、そこも2年ほどで離縁される。商人の道を断念し、医者になることを母親が勧めた。宣長は23歳で京都修業に向かい、江戸時代を代表する国学者への道を本格的に歩みだす。

本居宣長に、失意の「引きこもり」時代があったということを、この記事で初めて知りましたが、無駄に過ごすのではなく黙々と地図を作っていた、というところに、国学者として大成した片鱗といったものを感じさせます。
人は、失意、不遇の中でこそ、そういった境遇にめげることなく勉強を怠るべきではないでしょう。そういった境遇の中で、いかに生きるかということが、そのまま沈んで行くか、這い上がって脱出し、より高いステージへと駆け上がって行くかを分けるような気がします。