被害者とともに泣く検察とは

昨日、福岡の幼児3名死亡事故について、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080108#1199757376

とコメントしましたが、テレビのニュースで、遺族(死亡した幼児の両親)のインタビューを見ていて、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060327#1143420289

でコメントしたことがある、自分が担当した交通死亡事故の被害者遺族(両親)のことを、なぜか思い出しました。福岡事件の遺族の表情が、法廷で事件の審理に立ち会っている私を傍聴席からじっと見つめていた両親の表情と、どこか似ているような気がしました。
私が担当していた事件の被害者は、20歳代の女性で、記憶では、インストラクターとかそういった仕事をしていて、記録で読むだけでも、将来に明るい希望を抱いて暮らしていたことが強くうかがわれました。そういった娘さんを、ご両親も大切に育ててきて、今後を楽しみにされていたはずであり、あれから既に15年ほどが経過していますが、今でもご両親の悲しみが癒えることはないままではないか、と思います。
刑事事件では、関与する者それぞれの立場でなすべきことがあり、それぞれの役割を果たす必要がありますが、「被害者とともに泣く」ことができるのは、やはり検察、ということは言えるでしょう。歳月が過ぎ、事件や事故が次第に人々から忘れられ、しかし、遺族や関係者にとっては癒されない悲しみが続く中で、あの時、あの検察官が、あの検察庁が、あれだけ頑張ってくれた、自分たちのことを思って精一杯やってくれた、と思うことで、少しであっても気持ちが和らぐような、そういう存在に、是非なってほしい、という気がします。
そういう、人の心の痛みがわかる、奥深さ、幅広さを持つ検察官であってこそ、なかなか獲得することが困難な、被疑者にしか知り得ない内容を含んだ決定的な自白、といったものも獲得できるのではないか、とも感じます。