tedieさんから、非常に示唆に富むコメントをいただいたので、私も、更に考えてみました。本件の被告人の主観面について考えてみる場合、①自らの行為が「特定の」正犯を幇助しているかどうかという点(tedieさんが指摘される「行為対象における確定性」②自らの行為が、「確定的に」正犯の(この場合の正犯は概括的な存在でも可)著作権侵害行為を幇助しているかどうかという点に分けられるのではないかと思います。確かに、「確定的故意」という言葉を使う場合、通常は、①の使い方をされているでしょう。
ただ、本件について言うと、検察官は、①については、幇助対象を具体的に認識していたとは主張していません(そもそも、被告人としてそういう認識は持ちようがないでしょう)。
問題となるのは、②だと思います。
検察官として、tedieさんが主張されるように、違法性の意識という点で「確信犯」という言葉を使い、自らの行為が(不特定の)正犯の著作権侵害行為を幇助していることについては、未必的な認識、認容(著作権侵害行為を幇助しているかもしれないが、それでも構わないという心理状態)のレベルでとらえているか、というと、私は、そうではなく、前者について、そのようなとらえかたをしているとしても、後者については、更に踏み込んで、「自らの行為が正犯を確定的に幇助している」というレベルでとらえていると判断しました。
ただ、私の手元には、「分析」を書いた時にあった検察官冒頭陳述要旨すらない状態なので(海外出張中のため)、この辺の議論は、検察官冒頭陳述そのものを読んで分析しないと、的確な結論は出しにくいと思いますので、私のこのような見方は、そういった前提での判断ということで聞いていただきたいと思います。
なお、検察官が、被告人の主観面について、「自らの行為が正犯を確定的に幇助している」というレベルでとらえているかどうかが不明確ということになれば、その点は、今後の弁護人による重要な求釈明の対象になるのではないかとも考えています。