年収1500万円は中間所得者? 「金持ちでない」と経財相

http://www.47news.jp/CN/201012/CN2010121901000134.html

高所得者層を狙った増税との批判が出ていることに反論した。しかし、年収1500万円を超える給与所得者は全体の1・2%に当たる約50万人で、海江田氏の認識に批判が出る可能性もありそうだ。

年収1500万円は、明らかに高所得者でしょうね。そういう無理な、非常識な強弁ではなく、むしろ率直に、収入が多い人には負担をお願いしたいとでも言ってほうが、まだマシという気がします。理解はなかなか得られないと思いますが。
小手先の税収増を目論むのではなく、50年、100年先を見据えて、どういったところから取り、あるいは、取らないのか、どういったところに出し、あるいは出さないのか、といったことを、一日も早く徹底的に検討して実行に移さないと、現在のヨーロッパの諸国が直面しているように、日本も国家財政破たんに陥る恐れが大きくなるばかりでしょう。
個人的には、インターネットさえ快適に使えれば、老後に無理をしてまで日本にいる必要はないと考えているので、健康状態や懐具合を見つつ、これ以上、日本にいるのは無理だと思った段階で、忽然と日本から姿を消すかもしれません。日本が、自分にとって魅力の乏しい国になりつつあるという実感は、徐々に大きくなってきている気がします。

2010年12月18日のツイート

JAL客室乗務員、ゲート受け付けもやります

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101218-00000897-yom-bus_all

ゲートには通常2〜3人の地上職員が配置されるが、出発前のCA1人が代わりに配置され、搭乗券のチェックや手荷物の受け付け業務の補助などを行う。

コストというのは、削減するだけではなく、かけたコストを有効に活用して無駄を省くということが併せて考えられなければならないでしょうね。
弁護士の場合も、独立というと、高い金をかけ便利な場所に事務所を構え常勤の事務員を雇い入れて、といったことに、とかくなりがちですが、固定費をかければかけるほど、それだけコンスタントに売上を確保しなければならず、苦しくなります。ブログやツイッター等でお金をかけずに情報発信し自分を目立たせ、事務所は簡素でお金のかからないものにする、当面は事務的なこともできるだけ自分でやって事務員もパートのバイト程度にとどめる、といった工夫をすることで、独立のハードルは下がり細々とでも何とか維持できるようになるものです。その辺の事情は、現在、メルマガで、弁護士業務をするようになった当初の思い出話を書きつつ触れているところです。

http://www.mag2.com/m/P0008137.html

記事あるJALの試みは、あまりにも遅いとは思いますが、やらないよりはマシであるものの、ゲート受付だけでなく、手分けして掃除、ごみ回収でも何でもやる、といった方向へ行かないと、会社を維持することすら困難になるでしょう。

検察の岐路:/1 93年、検事が調べ中に暴行・逮捕 まず「調書」ありき

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101215ddm041040093000c.html?link_id=RSH01

元検事は事件時、静岡地検浜松支部から応援検事の一人として東京地検特捜部に派遣され、参考人2人に暴行した特別公務員暴行陵虐致傷容疑で逮捕、起訴された。「お前を屋上から落としても、どんなふうにでもなる」。暴言を吐き、壁に向かって立たせ、尻をけり、顔を殴った。

検事正ら複数の上司が処分された。だが、内部の大方の受け止め方は「組織的な問題ではない」。当時の幹部は今も「彼の資質がゆがんでいたとしか思えない」と強調する。

公判で弁護人だった山下幸夫弁護士は逆の見方だ。元検事から「(検事間の)競争があり、上司が望む調書をとらないといけないと思った。厳しい調べがある程度許される雰囲気だった」と聞かされた。山下弁護士は「事件が矮小(わいしょう)化された。(元検事に)プレッシャーを与え、成果を競わせた検察全体の問題だった」と指摘する。
特捜部経験のある中堅幹部は「あの時、暴走の危険性という現実に向き合えば、大阪の証拠改ざん事件は防げたかもしれない」と述べ、続けた。「調書の押し付けも物的証拠をいじるのも、根本は似たようなものだから」

当時は、ゼネコン汚職に立ち向かう正義の検察、という側面が大きく取り上げられていて、この暴行事件は、特異な、問題のある個人の不始末といった捉えられ方になってしまったという印象が強いですね。
私は、この元検事と同期で、当時は、まだ前途に大きな望みを抱く若手検事でしたから、彼が実際にそうであったかどうかはわからなかったものの、実績をあげ認めてもらいたい、認めてもらって特捜部に入りそこで活躍できるような検事になりたい、といった功名心から暴走する危険性といったことが強く感じられた記憶があります。そう感じたこともあってか、私は目立った実績をあげることも、特捜部に定着するような検事になることもなく、寂しく検察庁を去り、しがない弁護士になって細々と現在に至っているわけですが、この事件がなければ、気持ちの上で何の歯止めも効かなくなって、暴走に暴走を重ね、今頃、東京か大阪の拘置所の獄中で公判を待つ身にでも、冗談どころではなく、なっていた可能性もあるような気がします。
目的自体には正当性があっても目的のためには手段を選ばないことが、さらには目的自体の正当性も怪しくなってしまうことが常態化し、それを検察組織が黙認するだけでなく、マスコミも問題点に気付きながら検察庁からネタを取るために見て見ぬふりをしてきた、王様は裸なのに裸だと厳しく指摘、是正されることがないままずるずると月日が過ぎ、取り返しがつかないところまで来て起きたのが大阪地検特捜部の事件であったということを、改めて強く感じます。私の見方、感覚は、記事での山下弁護士のコメントと同様です。
日暮れて道遠し、ですね。