フランク永井さん死去、低音の魅力戻らず

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081102-00000011-nks-ent

歌手としてスター街道を歩んでいた永井さんは85年10月21日、東京・目黒区にあった自宅で首つり自殺を図った。夫人の発見が早かったことで一命を取りとめたが、医師から「脳死に近い状態」と診断され、会話が不自由になるなどの後遺症があった。その後は、リハビリによって体調は回復したが、記憶力の障害は残り、以後、表舞台に出ることはなかった。

一世を風靡した名歌手でしたが、上記の自殺未遂により後半生が暗転してしまったのが残念です。それさえなければ、その後も人々の心に残る歌を歌い続けていたことでしょう。
ご冥福をお祈りします。

野田聖子氏の事務所放火 秘書宅を家宅捜索

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008110290025550.html

野田氏は「(事件当時)私は東京にいたので(捜査の)対象外だが、すべての事務所の中の人は対象になった」と説明。秘書宅が捜索を受けたことを認めた。
名前が挙がった秘書は、家宅捜索の事実を認めつつも「(放火を)やっていないのだから証拠はない」と関与を否定。野田氏も「名指しされた秘書ともう一人の女性に確認したが、事実ではないとのことです」と内部犯行を否定した。

刑事訴訟法では、

第102条
1 裁判所は、必要があるときは、被告人の身体、物又は住居その他の場所に就き、捜索をすることができる。
2 被告人以外の者の身体、物又は住居その他の場所については、押収すべき物の存在を認めるに足りる状況のある場合に限り、捜索をすることができる。

とされていて(捜査段階では、上記の「被告人」は「被疑者」と読み換えられます)、被疑者以外の者については、「押収すべき物の存在を認めるに足りる状況のある場合に限り」という、被疑者の場合の「必要があるとき」よりも厳しい要件を満たさないと裁判所(裁判官)が捜索許可状(令状)を出しません。どういった証拠関係にあるかはよくわかりませんが、被疑者が特定されないまま(「被疑者不詳」として)捜査が進んでいるものと推測され、その中で秘書が捜索の対象になったということは、少なくとも、裁判所が、そこに「押収すべき物の存在を認めるに足りる状況がある」と判断したことを意味し、かなり重大な局面にある、ということは言えるように思います。
今後の捜査の進展を慎重に見守る必要がありそうです。

岩手宝くじ殺人:質素な女性の運命暗転 夢つかみ夢破れ

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081102k0000m040079000c.html

市内の大手電器メーカーの関連会社に軽乗用車で通勤。社員同士の慰労行事には参加せず、近所付き合いもほとんどなかった。夕方になると猫が台所の窓に上がって帰りを待った。休日には、逃げないように猫の首にひもを付けて「土足禁止」の愛車を掃除する姿が見かけられている。
一関市に生まれ、地元の高校卒業後に就職。同僚の男性と20歳ごろ結婚し、男の子2人をもうけたが、離婚している。
会社での数少ない話し相手だった元同僚女性(63)は仕事の休憩時間、紙コップのコーヒーを飲みながら、カーキ色の作業服姿の吉田さんから「夢(宝くじ)買ってきた」とよく聞いた。女性は「夢ばかり言っているんじゃねえ」と一緒に笑った。

この記事を読んで、この被害者にとって、高額宝くじに当選したことが、かえってその人生を暗転させる原因になってしまったな、と強く感じ、気の毒な気持ちになりました。
私自身、特に刑事事件を通していろいろな人々を見てきましたが、お金がなくて不幸になる人以上に、お金があって、あるからこそ不幸になる人というものが世の中にはかなりいるということを感じています。
上記の記事の中に、他の高額当選経験者の「大金が突然手に入ると心に余裕が生まれるが、我慢や粘りがなくなる。」というコメントが紹介されていますが、これについては、私自身も、宝くじについてではありませんが、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080619#1213887235

といった経験をしたことがありました。だから、お金があると、即、不幸になる、人生が暗転する、ということでもありませんが、そういう方向に流れてしまう場合もある、ということは言えるでしょう。
お金が全然ないのも困りものですが、ある程度はあるが足りない、だから頑張らないといけない、頑張る、という状態が、人生としては良い状態なのかもしれません。

新判例から見た刑法・第2版(山口厚)

新判例から見た刑法 第2版 (法学教室Library)

新判例から見た刑法 第2版 (法学教室Library)

初版は買ったものの、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060909#1157729587

あまり読めずにいたところ、第2版が出たので、早速買いました。
しがない弁護士ですから、判例の勉強をしたからどうなる、というものでもありませんが、法曹の端くれとして、できるだけの勉強はしておいたほうが良いので、これも、そのために役立てたいと思います。
以前、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20041215

とコメントしたことがある判例について、第13章「事後強盗罪の成立範囲」で分析されていたので、早速、読んでみましたが、先行する最決平成14年2月14日も併せて分析されていて、従前の判例との関係もわかり、参考になりました。

犯罪捜査に当たった警察官作成の書面が証拠開示の対象になり得るとされた事例(最決平成20年6月25日・判例時報2014号155ページ)

検察官は、私費で購入した単なる個人的メモである、として、裁判所による提示命令にすら従わなかったものでしたが、最高裁は、

1 犯罪捜査に当たった警察官が犯罪捜査規範13条に基づいて作成した備忘録であって、捜査の経過その他参考となるべき事項が記載され、捜査機関において保管されている書面は、当該事件の公判審理において、当該捜査状況に関する証拠調べが行われる場合、証拠開示の対象となり得るものと解するのが相当である
2 警察官が捜査の過程で作成し保管するメモが証拠開示命令の対象となるものであるか否かの判断は、裁判所が行うべきものであるから、裁判所は、その判断をするために必要があると認めるときは、検察官に対し、同メモの提示を命ずることができるというべきである

という判断を示しています。
前提となっているのは、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20071227#1198714917

でもコメントした最決平成19年12月25日ですが、検察官が、同決定の射程距離を狭め限定しようと、提示命令にも従わず必死に抵抗したことに対する、上記決定であり、その意義は大きいと言えるでしょう。
今後の焦点は、検察官作成のメモについても、最高裁が同様の判断を示すかどうか、ということではないかと思われます。更に言えば、「紙」のメモに限らず、捜査官が記録していたもので電子媒体等の形で持っているものについても対象になるか、といったことも、今後、問題になりそうな気がします。物事の本質に照らせば、「紙」に限定する理由は、特にないでしょう。

追記:(平成21年12月2日)

判例批評(渡辺修)判例時報2054号・判例評論610号196ページ

【もう一つの京都】(1)本能寺の変 異説飛び交う事件の真相は

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081102/acd0811021813003-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081102/acd0811021813003-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081102/acd0811021813003-n3.htm

資料批判が進んだ近年も、多くの説が唱えられている。信長に追放された足利15代将軍・義昭の黒幕説、朝廷が光秀をそそのかしたとする説、イエズス会政権交代をもくろんだとする説など枚挙にいとまがないが、どの説にも根拠はあり意見の一致をみていない。

本能寺の変に関する本は、興味に従い何冊か読んで、本ブログでも紹介したことがありますが、私は、明智光秀の単なる私怨のようなものが原因ではなく、中世的な社会制度や価値観を否定し斬新な新体制を目指していた織田信長の野望を、否定されようとしていた側に強烈なシンパシーを感じつつ阻止しようとしたことと、明智光秀自身の、強烈な天下取りへの野望のようなものが複合して起きたものではなかったか、と考えています。
犯罪にもそういう面がありますが、こういった変、乱を起こすには、動機だけでなく、チャンスが必要で、その点、中国地方への出陣のためわずかな供回りだけで織田信長が本能寺に滞在し、そのすぐ近くで、やはり出陣を控え大軍を率いた明智光秀が京へ攻め込める状況にあったという、絶好のチャンスというものが、本能寺の変を現実のものにしたことは間違いないでしょう。この機を逃せば二度と再びこのような機会は巡ってこない、と明智光秀が考えたことは想像に難くありません。上記の記事にも出てくるあまりにも有名な、「ときは今あめが下しる五月哉」という句にも、そういった明智光秀の高揚感が感じられるように思います。
私が読んだ本の中では、

明智光秀―つくられた「謀反人」 (PHP新書)

明智光秀―つくられた「謀反人」 (PHP新書)

が、原因を巡る様々な説の整理が丁寧でわかりやすく、特に参考になったという印象があります。