作業中止指示直後に濁流 下水道作業員事故

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008080690070502.html

この日の大雨洪水注意報の発表は、午前十一時三十五分。だが、本社も現場もすぐに注意報を把握せず、避難は始まらなかった。
竹中土木の岡田一孝技術・生産本部長によると、現場監督を務める同社社員の作業所長が中止指示を出したのは、注意報発表から約十五分後。工事の進ちょく状況を検査に来ていた都職員がぱらつく雨に気付き、午前十一時四十分ごろ、「雨が降りそうだ」と所長に注意喚起。所長は、同十一時五十分すぎ、マンホールの上から、大声で「すぐ作業を中止するように」と作業員らに呼び掛けた。
濁流が六人をのみ込んだのは、それから十分もたたない正午少し前だったという。通常なら五−六分あれば脱出可能だったとみられるが、自力で助かったのは、孫請けの作業員一人だけだった。

私は、昨日の昼前に、港区内で仕事をしていましたが、ものすごい雨が降り出し、雷も鳴って、すごい天気になったな、と思っていました。上記の記事を見ると、降雨、注意報、注意喚起といった流れの中で、脱出が後手後手にまわっていて、危機意識の欠如といったことも感じられ、これほどの重大な結果を回避することができたのではないかと悔やまれます。
先日の神戸での類似事故(河川の急激な増水で犠牲者)にも見られるように、この種の都市型水害の危険性ということを、もっと周知徹底させて行く必要があるのは明らかです。

広島、63回目の原爆忌…4万5000人が祈り

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080806-OYT1T00254.htm?from=main1

被爆者代表や福田首相、初参加で核保有国の中国など、過去最多の55か国の代表らが次々と慰霊碑に献花。原爆が投下された午前8時15分、遺族代表2人が平和の鐘を打ち鳴らし、参列者全員が1分間の黙とうをささげた。

先ほど、東京地裁へ行く前に、自宅のテレビで上記の様子を見ましたが、広島は今日もかなり暑そうであり、63年前の「あの日」も、こういう日であったのだろう、と思いました。
8月3日、4日に広島に帰省していたのですが、広島は、東京よりもさらに暑く、さすがの私も参ってしまい、体調がやや不良で、何とか仕事をしている状態です。先ほどは、東京地裁の地下で接見した後、マスコミ関係者十数名(?)にすごい勢いで追いかけられ、東京地検の敷地へ逃げ込んで振り切りましたが、あまり体調も良くないので、皆で取り囲んだり追いかけたりということはやめてほしいですね。

さっぱりしたでごわす 鹿児島の西郷どん、恒例の清掃

http://www.asahi.com/national/update/0806/SEB200808060010.html

郷土の偉人だけに「西郷さんに触るのは初めてで緊張した」と市立南中3年の有満晟也君(14)。

先日、鹿児島へ行った際に、この西郷像を見ましたが、市内の一等地の、築山のような場所の上に堂々と君臨したような状態で、鹿児島の人々が西郷隆盛に抱く畏敬の念が、ひしひしと伝わってくるように思いました。地元の中学生が緊張した、というのも、よくわかる気がします。
西南戦争の評価は、なかなか難しく、失敗に終わったことや多大な犠牲を出したことを考えると、決起すべきではなかったとも言えますが、私利私欲を捨て起つべきときには起つ、という西郷隆盛の生き方には、大いに見習うべきものがあるように思います。