弁護士にも格差社会到来 将来、失業の大量発生は必至!

http://www.j-cast.com/2007/08/31010819.html

07年は、日弁連の呼びかけに応じ、前倒しで採用した事務所が多く、翌年以降の就職活動はさらに厳しくなるとみられている。弁護士白書によると、06年で2万2000人だった弁護士数は、10年後には、倍以上の4万7000人に。さらに、30年後には、4倍以上の9万5000人を越えると予想され、供給過剰が心配されている。

「弁護士」という、大きなカテゴリーの中に埋没してしまえば、過剰供給の中に入ってしまって消え去ることになりかねないので、そもそも弁護士が少ない地域へうって出る、専門分野を持つ、普通では行われていないサービスを提供して利便性を高めるなど工夫して、自らに対する需要を高める努力をするしかないでしょう。
今後は、弁護士一人当たりの売上がどうしても頭打ちになる可能性が高く、無駄な経費を使わない「コストカッター弁護士」にもなる必要があるように思います。
恨み言を言ったり愚痴をこぼしていても何が良くなるわけでもないので、各弁護士が工夫して行くしかない、というのが現実ではないかと思います。
これから弁護士になろうとする人は、こういう厳しい現実を直視しておきましょう。

身代金2千万ドル以上か 韓国人人質解放 ロイター通信

http://www.asahi.com/international/update/0901/TKY200709010249.html

同幹部は、匿名を条件に、「(韓国政府から得た資金で)武器を購入し、通信網を更新する。また、自爆テロのための車を購入する」「われわれが直面している財政困難の改善にも役立つだろう」と述べた。

タリバン側の一方的なコメントですから、どこまで真実かは不明ですが、この種の人質解放にあたっては、裏取引、金銭の授受が噂される、ということがよくあるものです。人質を取られていることで、解放を求める側は劣勢に立ってしまう側面があり、裏取引が存在することで解放に至る、ということは、全部ではないにしても少なからずあると推測されます。
同種事件の再発防止のためには、誘拐犯の要求に一切応じないことが強く要請されますが、人質殺害は避けたいところであり、解決に当たっての名案はないのが現実でしょう。

親も子供も宿題丸投げ いま代行業者繁盛

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070901-00000917-san-soci

依頼は主に親からで、「子供の宿題が期限に間に合わないから」という理由がほとんど。中には小学生本人から注文が来たこともあるという。メールやFAXで受けた依頼を、業者を介して登録学生に発注。高額バイトとして一部の学生に人気があり、中には月20万円以上稼ぐ学生もいるという。

子供の宿題までも金で解決する、という姿勢は、先日、村上氏を厳しく断罪した東京地裁の逆鱗にも触れそうですが、それはともかく、親は、こういった安易な対応が積み重なって行くことで、子供がどんどん馬鹿になり、社会の中で落ちこぼれて行く、ということに早く気付くべきでしょう。

早稲田大学緑法会の合宿に参加して

先日、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070826#1188088248

でも触れましたが、昨夕から今日の午前にかけて、新潟県内で行われている上記の合宿にOBとして参加し、先ほど、帰京しました。
昨夜は、他のOBの方々とともに、ホテル内での講演会に出て、私自身も少し話をして、その後、懇親会でお酒を飲んだりしながら学生の方々と話しました。
私が1年生、2年生として緑法会で活動していたのは、昭和58年から昭和59年にかけてのことで、今から23、24年前のことになります。当時、夏合宿では、ゼミを組み2年生が1年生に教える方法で(3年生や4年生で参加して教えている人もいました)、かなり勉強し、最終日には顧問の教授出題による答案練習会までやっていました。今の合宿は、完全に会員間の親睦を深めるためのものになっているようで、ゼミや答練などはやらず、スポーツ、花火などを楽しむ、というものになっているようです(私も、昨夜は花火を楽しませてもらいました)。
勉強は、日頃の生活の中でいくらでもできますから、こういった「楽しむ」合宿も悪くないと思いますが、振り返ってみると、私が大学生、特に2年生で合宿に参加した頃は、翌年の5月には司法試験の択一試験を受験し、それに合格すれば翌年の7月には論文試験を受けている、何とか論文試験を受けるくらいまでには行きたい、と思い、かなりの切迫感、緊張感を持って勉強に臨んでいたように思います(かなり空回りしていた面はありますが)。
現在の1年生、2年生の大多数は、旧司法試験を受験して合格することよりも(不可能ではありませんが、合格者が徐々に減少し、旧司法試験自体が消滅しようとしている現状では、その方法は現実的ではないでしょう)、法科大学院を経て新司法試験に合格することを考えているようであり、私が彼ら、彼女らと同じ年代の頃の切迫感、緊張感を求めることには、無理があるように思います。
司法試験受験を志す人々が、法学部在学中に、どのように切迫感、緊張感を持ちつつ勉強し、また、法科大学院進学前に、どこまで能力を向上させておくのか、ということは、考えてみると、なかなか難しい問題かもしれない、と感じました。
昭和61年に司法試験に合格し、平成元年に検事に任官した私としては、昭和62年、昭和63年生まれ(中には平成元年生まれの人もいたようです)といった学生の方々と話をするだけで、非常に新鮮で楽しいものがありました。