塩野七生さん講演 「戦争ほど悪はない」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070525-00000018-san-soci

戦争観を問う質問に対して、「戦争ほど悪はない。それでも戦争は絶えない…私の推測ですが」と前置きして、「勝つか負けるか」というシンプルな戦争観がキリスト教が介在するようになると、十字軍に見られるような「神が望まれた戦争」という意識に支配されるようになる。そして18世紀、啓蒙(けいもう)主義の時代には戦争の「正邪」が問われるようになった、と欧州の戦争観の流れを説明。そのうえで、欧米流の「正邪」で日本を裁いた東京裁判に日本人が釈然としないのは「われわれにそんな思想がなかったから」と指摘した。

歴史に対する深い洞察を持つ人のものだけに、なかなか含蓄がありますね。
確かに、日本の歴史の中で、徹底的に闘う「決戦」というものは、長い歴史の割りにはそれほど多くないように思います。決定的な勝者、決定的な敗者を生まず、作らず、広くない国土の中で共存共栄を図ろうという意識がどこかに存在し、そういった意識が、現代の談合問題などにも影響を及ぼしているのかもしれません。
先日、

塩野七生『ローマ人の物語』スペシャル・ガイドブック

塩野七生『ローマ人の物語』スペシャル・ガイドブック

を読んでいて、全巻をきっちりと読む意欲が沸々と湧いてきたのは、カンネの会戦で勝利したハンニバルに対し、カルタゴ軍の兵士が語ったという

あなたは勝利を手にすることは知っているが、その勝利を活かすことは知らない。

という言葉に接したが故でした(同書252ページ)。
勝利を手にしても活かすことを知らない大統領、政党指導者、経営者、弁護士等々、その数には多いものがありますが、今後、全15巻を読破する中で、何か得られるものがあるのではないか、と期待しています。

ブログ実名登録、義務化見送り=反対多く「奨励」に−中国

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2007052300673

中国当局はブログを通じた中傷や不都合な情報の流布を防ぐ目的で実名制確立を目指しているが、反対論が多いため実名登録の「義務化」は当面見送った格好だ。

このニュース、先日、コメント欄でも紹介がありましたが(ありがとうございます)、中国当局ですら、多くの反対論を押し切れず義務化は当面見送らざるを得なかった、という事実の持つ重い意味を、改めて考えてみる必要があるでしょう。

鹿児島県警、統一選の違反摘発ゼロ 「12人無罪の影響」指摘も

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/kyushu/20070523/20070523_006.shtml

「確度の高い情報もあったが、無罪確定の直後だけに慎重になった」と打ち明けたり、「『選挙違反が疑われたら警察にひどい仕打ちを受ける』と有権者が怖がったから(違反をしなかった)」と皮肉な見方をしたりする捜査員もいた。

この種の違反がないはずはないので、無罪事件の影響で警察自身が身動きが取れなかった、という可能性が高いでしょうね。
知能犯事件というものは、情報が命であり、あの警察、あの検察庁は事件をやってくれる、ということになれば、情報がどんどん集まり、事件もやれる一方、情報を生かせない、動かない捜査機関には、良い情報も集まらず、事件もできない、ということになりがちです。
無罪判決後の情報垂れ流しも含め、鹿児島県警に対する世間の評価は全国最低ランクにまで落ちているはずで、よほど奮起して頑張らないと、10年、20年単位で底に沈んだまま浮かび上がれないことにもなりかねないでしょう。

ウィニーの利用 即違法行為になるのか

http://www.j-cast.com/2007/05/24007822.html

私のコメントも含まれています。

一方、落合洋司弁護士は、今回の事件については「正当化する余地がない」としながらも、ACCSの「ウィニー合法利用説は机上の空論」とする見方に疑問を呈している。

その背景には、京都地裁ウィニー開発者に対して06年12月に下した判決の中で、「システム自体は価値中立的なものである」とする村井純・慶応大学教授の公判での証言に一定の理解が示されたことがある。落合弁護士は、「ウィニーの現状からすれば違法となる可能性が高いのは確か」との見方を示した上で、J-CASTニュースに対し次のように語る。

「(京都地裁の判決は)故意だった場合に違法になる、という見方で、単に中継しているだけで個々のファイルについて個別の認識を持たない利用者の行為まで違法と決めつけられるのかという疑問がある。線引きするのは非常に難しい」

「合法利用を『机上の空論』と一面的に決め付けてしまうことがいいことなのか。ファイル共有システム自体は中立的なものと判断されているし、使い方まで『違法』とされれば、技術の進歩が止まってしまう可能性さえもあるのではないか。私自身、疑問を感じつつ考えているところだ。ウィニーだけクローズアップしないで、広い視野で見ないといけないと思う」

これについては、先日、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070519#1179504497

でもコメントしましたが(これを見た記者の取材があって上記記事のコメントになったわけですが)、これだけインターネットが普及し、その中で、違法・不当な行為も少なからず行われる、という状況になると、そういった行為を肯定せず、加担する気もなくても、あるいは、個別具体的な認識はないまま、何となく変だな、おかしいなと薄々気付いている程度でも、予測不可能なまま、違法・不当行為に加担している、お前は故意もあって犯罪者なんだ、などと決め付けられて、気がついたらとんでもない状況に追い込まれている、という恐れがあります。
私が危ないな、と思っているのは、そういった「グレー」な分野で、警察等の捜査機関が、勝手に絵を描いて動き、逮捕者を続出させ、既成事実を積み重ね、そのような事態を見聞きした多くの人々が恐怖を感じ、萎縮し、インターネットを恐いもの、危ないものが満載されているもの、と感じて離れて行く、本当にそういうことが望ましいことなのかどうか、ということです。
ガリレオが地動説を唱えたことで裁判にかけられた時、ガリレオを支持する声は圧倒的に少数であり、圧倒的多数は天動説を支持していました。しかし、誰が正しく誰が間違っていたか、今となっては自明です。真理というものは多数決で決まるものではありません。
別に、私が真理を述べている、と言いたいのではなく、インターネット上において何が違法・不当な行為なのか、そういった行為に対しどのように対処すべきか、対処方法の中で刑事司法というものがどうあるべきか、といった問題は、単に多数決やインターネット上の各種論調などで決まるものではなく、今後とも真剣に検討されるべき問題であると思います。

日本刑法学会第85回大会(於:名城大学)

http://www.clsj.jp/

明日から2日間、名古屋にある名城大学で開催されます。私も参加するので、今夜、名古屋へ移動します。
学者ではないので、難しい話はわかりませんし、ドイツが、フランスが、などと言われても、頭の中にとどまることなく耳から耳へと抜けてしまいますが、わかる範囲内でしっかりと吸収したいと思っています。