早くも「青息吐息」安倍政権 補佐官五人は何やってるの?

http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070125-01-0702.html

政治のことはよくわかりませんが、私のような素人が見ても、安倍内閣のメンバーは、力不足が否めず、内閣自体、何を目指し何ができるのか、よく見えない、という気がします。国民も、そういった点を敏感に感じ取り、徐々に支持率が低下しているのではないかと思います。
今年は、統一地方選挙参議院選挙と続く「選挙の年」ですが、安倍内閣が意外と短命に終わってしまう要素も数多い、と言えるでしょう。

中国人街で多数の頭蓋骨、日本兵のものか

http://www.bangkokshuho.com/news.asp?articleid=1236

バンコク都内のチャイナタウンで下水道工事をしていた男性が、地下に多数の頭蓋骨が埋まっているのを発見し、警察に通報した。頭蓋骨は100個以上にのぼり、工事関係者が慰霊の儀式を執り行った後、すべて法医学研究所に運ばれた。

このニュースを見て思い出しましたが、バンコク市内に犯罪博物館があり、いろいろな死体などが展示されているということだったので、昨年末、見に行ったのですが、年末で休館になっていて見ることができませんでした。上記の「法医学研究所」とは別の施設だったと思いますが、実際に見ることができなかったことを、改めて残念に思いました。
そこに死体として展示されてしまっている連続殺人犯の名前を冠して「シーウイ博物館」とも呼ばれていて、その博物館を探している時、歩いていた女性に、その名前を言うと、「シーウイ!」とすぐにわかって教えてくれました。何でも、タイでは有名な殺人犯で、親が子を叱るとき、「良い子にしていないと、シーウイが来るよ」と言うくらい有名だ、ということが、インターネットのどこかのサイトに書いてありました。
ネットで検索すると、そこの写真がアップされたサイトがヒットしますが、決して心地よいものではないので、見るときには注意して下さい。

映画「それでもボクはやってない」で冤罪被告人を起訴してしまった副検事

冤罪を起訴してしまったわけですから、いわゆる「誤起訴」であり、捜査に臨む姿勢も見るに耐えないものがありましたね。
ただ、検察官の皆が皆、あのような人ばかり、というわけではありません。
日本の刑事裁判における有罪率の高さ、ということが、最近は、悪い方向で注目されていて、確かに、そのように指摘されるのも無理からぬところはありますが、捜査が徹底的に行われることで、起訴が慎重に行われ、無罪になる事件がごくわずかになっている、ということも、確かに言えると思います。
起訴、不起訴を決定するにあたり、検察官が裁判官のような立場に立って、収集した証拠(積極証拠及び消極証拠)を評価し、そこで、1度、裁判(裁判そのものではありませんが)を行っている、と言うと、わかりやすいでしょう。
上記の映画では、そういった良い意味でのフィルタリングに失敗しており、捜査の失敗、ということが言えると思います。
ただ、そのような判断は、刑事裁判を先取りする、という性格を色濃く持つものであり、刑事裁判における有罪のハードルが下がれば、それと連動して、検察庁における起訴のハードルも下がることになります。その意味で、裁判所が刑事裁判において示す判断やその中身は、検察庁における起訴、不起訴の判断にも大きく影響を与える、ということが言えると思います。

映画「愛の流刑地」

http://www.airuke-movie.com/index.html

今日は、午前中、刑事の否認事件で、一生懸命、反対尋問をやって、かなり疲れましたが、夜、この映画を鑑賞してきました。

(以下、ネタバレ注意)

感想を項目的に挙げると、
1 日経連載のものを途中から読んでいた原作よりも、映画のほうが、作品としての完成度が高いと感じた
2 豊川悦司冨司純子の演技が光っていた
3 刑事手続、刑事裁判の描き方が、現実からかけ離れていて、リアリティがないので、かえって中途半端に気にならなかった
4 セックスシーンは、前評判ほどたいしたことはなく意外と平凡だった
5 長谷川京子演じる検事がひどかった
ということでしょうか。
特に、長谷川京子演じる検事は、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060812#1155351318

にあるように、

検事としての視点と、1人の女性としての視点の中で起こる葛藤と戦いながら菊治を裁いていく。

はずだったようですが、何か重大なことを勘違いし、過去の恋愛体験をいたずらに引きずり、自らの個人的な体験を勝手に担当事件と重ね合わせる、頭の悪い女検事にしか見えませんでした。
過剰に露出した服装は、長谷川京子のかわいさに免じて許すとしても、取り調べ方法が、終始、被疑者を小馬鹿にしたような態度で、「ねー、あんた、何考えてたのよー」という感じの、鼻にかかったようなしゃべり方で行われていて、公益を代表し、真実を発見するという重責を担う検察官の取り調べとはかけはなれたものになっていました。エンターテイメント、娯楽映画、ということを十分考慮しても、ちょっとあれはいかがなものか、という印象を受けました。あれでは、豊川悦司の好演の足を引っ張るだけでしかないでしょう。ああいう検事には調べられたくない、調べられたら本当のことをしゃべる気にはならないだろう、という感じでした。映画「それでもボクはやってない」の副検事にもひどいものがありましたが、それとは違った別のひどさがありました。
長谷川京子にとって、検事という役自体も、「検事としての視点と、1人の女性としての視点の中で起こる葛藤と戦いながら菊治を裁いていく」ことを演じることも、ともに荷が重かったようで、場違いな女検事が、見当違いなことを言ったり考えたりしながら、取り調べや公判立会を行っている、という以上の何ものでもなく、作品にささった、無用なトゲのような存在になってしまっていたと思います。
最後に流れる平井堅の歌は非常に良かったと思います。