https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080300151&g=soc
藤井裁判長は「状況証拠を総合すれば、被告の犯行と認められる」と判断。自白のうち、犯行を認めた部分は信用できるとし、被告側の無罪主張を退けた。
判決は、勝又被告が最初に自白した直後、母親に宛てた謝罪の手紙について、「被告が犯人でないとすれば手紙を作成した理由を説明できない」と指摘。有希ちゃんが連れ去られた翌日未明、遺棄現場方向に向かっていた勝又被告の車の走行記録も「犯人性をある程度推認させる」とした。
遺体に付着した粘着テープから検出された第三者のDNA型については、「指紋検出作業での混入の可能性がある」と判断。真犯人のものだとする弁護側主張を退けた。
この事件の証拠構造を、報道等から推測すると、
・自白やそれ以外の証拠から被告人の犯行と推認できるか
・被告人の犯人性を減殺する方向での証拠により、合理的な疑いが生じていると言えるか
という、大別して2つの視点から見ることができるのではないかと思います。
東京高裁は、第1点については、自白自体で、犯行の詳細まで認定できるほどの証明力はないものの、「根幹部分」「被告人自らが犯人と認め、自白を維持していたこと」自体を、1つの状況証拠と捉え、その限度での証明力、信用性を認定したものと思われます。それと、記事にもあるような他の状況証拠(自白を裏付けつつ)も総合して、犯人性を認めたということでしょう。
第2点については、被告人以外のDNA型が、直ちに真犯人の存在を推認させる合理的な疑いを生じさせないとしたものでしょう。
しかし、自白というものは、常に危険性を持つものであり、特に本件では現場や遺体の状況との整合性のなさが指摘されてきた経緯があります。上記のような、自白のつまみ食い的な認定が妥当なのか、議論は分かれるところでしょう。また、他の証拠についても、例えば、特殊な状況下での謝罪の手紙の送付を、殺人事件以外も問題となる中、被告人自身が帰化した人物であり日本語能力が必ずしも十分ではないという状況下で、上記のように犯人性認定方向で断定して良いのか、やはり議論が別れるところのように思われます。1つ1つはあやふやなものが、いくつか積み重なると、なぜか強固な推認へと転換するような認定の在り方で良いのか、疑問を持つ向きも多いと思います。
被害者と様々な接触を行ったはずの被告人のDNA型が全く出ない一方、誰のものか不明なDNA型や捜査関係者のDNA型は次々と出てくる、それ自体を、被告人の犯人性に合理的な疑いを生じさせる状況証拠と見る見方も十分にあり得るところです。
今後、最高裁に上告され、そこで最終判断が出される当たっては、1審、2審の中での、そういった問題点が慎重に検討されることになるでしょう。状況証拠による認定の限界事例という側面があり、最終的にどういう結論になっても、事実認定上、今後も様々に参考にされるケースになるだろうと私は感じています。