http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201701/CK2017010502000126.html
提出を検討している法案は、これまでの内容を一部修正し、対象集団を「団体」から「組織的犯罪集団」に変更。処罰要件にも、犯罪の実行を集団で話し合うだけでなく、資金の確保といった犯罪の準備行為を加える。罪名も「共謀」を使わず「テロ等組織犯罪準備罪」としている。
ただ、適用される罪は、これまでと変わらず「法定刑が四年以上の懲役・禁錮の罪」で、六百以上が処罰対象となる見込み。犯罪の準備をしていると認定されれば処罰され、権力側による恣意(しい)的な適用を招く恐れがある。
以前の共謀罪に関する法案よりも、一見、より限定的にはなっていますが、例えばかつてのオウム真理教のように、宗教団体が組織的犯罪集団に転化する、そのどこを捉えるかには曖昧さ、不明確さがつきまとい、捜査機関が組織的犯罪集団と認定すれば、起訴はともかく捜索差押、逮捕、勾留といった令状レベルでは、次々と認定、見立てに沿って進められる蓋然性が高いでしょう。そこには人権侵害の恐れが当然出てくることになります。
また、準備行為を要件とすることで、単に共謀することが要件であるよりも絞りがかけられているように見えますが、何をもって準備行為と認定するかも、曖昧さ、不明確さがつきまといます。
テロ対策を言うのであれば、テロというのは不特定多数を殺傷することを目的とするものですから、既存の刑罰法令を駆使して、殺人予備罪、銃刀法、爆発物取締罰則等を駆使すれば十分なテロ対策は可能であり、むしろ、テロを未然に防止できる組織力の強化、情報収集、共有体制の強化といったことを最優先にすべきでしょう。共謀罪が長く存在してきたアメリカで、アルカイダによる同時多発テロを防止できなかったことを冷静に捉えるべきだと思います。
600以上の罪が対象となるとされていますが、その多くはテロとは無縁の犯罪であって、むしろ、そうした広範囲な犯罪が対象とされることで、市民生活の自由が脅かされる、そこを真剣に考えておく必要があります。
テロ対策という「美名」の背後に巧みに隠された、市民生活の自由に対する脅威、危険性を強く認識、理解しておく必要があると思います。