最近、何かと話題の「ブラック企業」ですが、私自身、昭和の終わりに大学を出て、司法修習後、検察庁に入ったのが平成元年(1989年)で、その当時と今との違い、変遷を、この問題と重ね合わせて見ています。
リゲインのCMで、かつて「24時間戦えますか」というフレーズが使われ、それは、その当時としても大真面目というよりジョークっぽく言われていたことではありましたが、そういうフレーズをそれほど違和感なく受け入れる、そういう意識、風潮が、バブル経済崩壊くらいまでの日本にはあったと思います。日本が高度経済成長、バブル期へと突き進み、世は右肩上がり、終身雇用、年功序列が主流といった社会にあって、働けるだけ働き、今はもらえなくてもいずれもらえて報われる、未熟なものが一人前に要求するのはおかしい、といった意識、風潮が、かなり大きく存在していたということを、振り返って感じます。今でも、役所やトラディショナルな組織では、終身雇用、年功序列が厳然として残っていて、そういう意識、風潮が残存しているところもありますが、それを支えているものに目を向けてみる必要があるでしょう。
バブル経済が崩壊し、日本は失われた歳月を過ごすようになって、かつての、上記のような「右肩上がり」は、一部の例外を除いて消えてしまいました。そうなれば、もらえるものは今もらわないと困る、無理なことをせず日々を楽しく過ごしたい、という意識、風潮が急速に広がるのは必然で、かつての状態を念頭に置いて、働け、頑張れ、でも出すものはこれだけ、ということでは、人はついてこないでしょう。ブラック企業の多くは、そうした、かつての意識、風潮にとらわれた経営者の、方針転換失敗のなれの果てではないかと、私は感じています。
ブラック企業を一代で築くような経営者は、私も何人か知っていますが、ものすごく元気で意欲も能力も高く、だからこそ、そこまで達成できるものです。しかし、そういう人はごく一握りで、人を使うということは、特に今の時代では、ごく普通の人を法令に沿って余裕を持たせつついかにうまく使うかということにならざるを得ませんし、無茶なことをやっても、かつては人が必死についてきて補充も効きましたが、今や少子化の時代で人が離反すれば補充も効かないことになります(「すき家」は正にそういう状態に陥ったと報じられていました)。
そういった、時代錯誤的な経営者は、日本中にまだ多く棲息していますが、早く頭を切り替えてやり方を抜本的に改めないと、気がついたら乗組員が逃げ出し船長である自分が乗った船が沈没しようとしている、といったことになりかねないでしょう。