私がインターネットを日常的に使うようになったのは、1998年頃からではないかと思います。静岡地検で勤務している頃でした。それまでは、1995年頃から、パソコン通信(この響きが懐かしいですが)のニフティーサーブなどで、見たい情報を見たりするようになっていて、徐々にインターネットに移行した、という流れだったと思います(その当時に、パソコン通信網がインターネットに接続された、という記憶です)。
1990年代後半のインターネットは、まだ情報量も少なく、何でもインターネットで検索して情報を探すという状態ではなくて、私の場合、電子メールでのやり取りを主に行いながら必要な情報をぼちぼち見に行くという使い方をしていたような気がします。
2000年に、静岡地検から千葉地検に異動になり、その年の8月に検察庁を辞めましたが、辞める前に、転職先として複数の企業が候補としてあがっていて、その中にヤフー株式会社がありました。当時、ヤフーオークションの人気が高まってきて、違法・不当な取引やトラブルなどの問題も大きくなりつつあり、それへ対応できる人物(アメリカでは弁護士が対応するので弁護士がベターという判断があったようです)が求められていたという背景があり、それで採用されたという経緯でした。当時の井上社長に、表参道のパラシオタワー内にあったオフィスで最終面接してもらった時のことが今でも思い出されます。
こういう経緯でしたから、特にインターネットに詳しかったわけでもなく、IT企業を狙って転職したわけでもなく、ヤフーにはいったのは、たまたまでした。ただ、そのたまたまが、その後を大きく変えることになります。
ヤフーに入った後は、会社にいる間は四六時中インターネットを見ている状態で、様々な問題が発生しますから、自ずと様々な経験をして知識がついてくる状態にはなりました。2007年3月にヤフーを退職した後も、 IT企業の顧問をやったり依頼されてIT関係の仕事をしたり、その方面で時々取材を受けたりと、継続してこの分野に取り組んでいる状態です。
遠隔操作事件の真犯人も、そういう私のことをどこかで知って、メールを送ってきたものでしょう。
検察庁を辞めずにそのまま勤務していたら、今頃は退職後の人生設計でも考えながら地味に「役人」生活を送っていはずで、人生、どこで方向が変わって思いがけないほうへ進んでしまうのかわからないものだと、しみじみ感じます。