赤穂浪士「いさぎよき」 近江商人、討ち入り伝える書状

http://www.asahi.com/articles/OSK201312100026.html?ref=com_top6

江戸の庶民が早々と浪士側に味方していた様子もうかがえるという。
書状は元禄15年12月14日(1703年1月)の討ち入り翌日の日付。関東で造り酒屋を営んでいた鈴木忠右衛門が日野町の本宅あてに出したとみられる。

12月14日が近づき、私の事務所のすぐ近くにある泉岳寺でも、恒例の義士祭が行われ、今年も多くの人が集まると思われますが、討ち入りの当時から、この事件が人々の大きな関心の対象になっていたことがわかる手紙ですね。
今のように手軽に豊富なニュースが読み聞きできる状態にはなく、ほとんど口コミで情報が伝達されたものと思われ、翌日の時点で、誤りも含まれているとはいえかなり具体的な情報がここまで流れていたことに驚きを感じました。
義士祭の当日には、私も泉岳寺へ行き、赤穂浪士浅野内匠頭瑤泉院のお墓参りをして、人として立ち上がるべき時には立つ、義に殉じるということの意味を、あらためて噛みしめてみたいと思っています。