http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131128-00000042-asahi-soci
堤さんの豊かな才能は、百貨店経営にいかされた。1973年には渋谷パルコを開店。このなかの西武劇場(現パルコ劇場)から小劇場ブームが広がった。小売業に、現代美術や演劇などの文化事業を融合させる経営手法は「セゾン文化」という言葉を生み、同社の売り上げを押し上げた。
私が大学に入学したのは1983年(昭和58年)、卒業したのは1987年(昭和62年)ですが、東京に出てきて生活するようになり、田舎者で都会生活に馴染めないまま司法試験に向けて勉強しながら、渋谷、西武百貨店、セゾン、といった存在は、そこに入って行って楽しむものではなく、遠くから仰ぎ見ながら憧れる、洗練されたスマートなカルチャー、という印象が強かったですね。その後、私は司法試験に合格して検事になり、平成7年から平成8年にかけては、東京地検特捜部の応援に駆り出されてバブル崩壊の後始末的な捜査にも従事しましたが、その頃には、セゾングループの西洋環境開発が巨額の負債を抱えていたり、西武百貨店を舞台にしたバブルに踊った人々が絡んだ刑事事件などもあって、華やかで人々の憧れの対象だったものが徐々に崩れ泥にまみれる姿を目の当たりにする思いがしたものでした。
そういった栄枯盛衰を、遠くから眺めていた者として、堤清二氏の逝去には、昭和が終わった、1つの時代が終わりを告げた、という印象を強く受けるものがありますし、もう、日本であのようなカルチャーは生まれないのではないかという、一抹の寂しさも感じるものがあります。
文学の道で非凡な才能を発揮した方でしたが、生まれる場、環境が異なれば、もっとその才能を存分に発揮する人生だったのかもしれない、別の人生があったのではないか、という気がします。
昭和から平成にかけての歴史の流れを振り返りつつ、御冥福をお祈りします。