鈴木貫太郎記念館

鈴木貫太郎の思い探る企画展 吉田・マッカーサー書簡や映像資料も 千葉
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180811-00000050-san-l12

昭和11年の二・二六事件で凶弾に倒れた貫太郎が一命をとりとめるまでを目撃したタカ夫人の証言肉声録音に、当時の写真などを組み合わせて分かりやすくした約12分間映像が放映されている。

昼のNHKニュースで、終戦時の首相、鈴木貫太郎奥さんの鈴木タカが、2.26事件当時のことを語るインタビューが、鈴木貫太郎記念館で公開中と報じられていて、見たくなり、予定を急きょ変更して、午後、車を飛ばして見に行きました。千葉県野田市にあり、東京から車で1時間余り。3年ほど前に1度来ていて、2度目の訪問でした。
記念館のロビーで、鈴木タカの音声入りの映像を流していて、 中味は既知のことでしたが、肉声で聞くと実に生々しいものがありました。襲撃直後の鈴木貫太郎が、護身用の刀を納戸に探しに行ったが、ちょっと前に、鈴木タカが片付けていて見つけられないうちに、将兵がなだれ込んで来た、という話も生々しく感じられました。
撃たれて瀕死の重傷を負った鈴木貫太郎へのとどめを、鈴木タカが制止することで、鈴木貫太郎は辛くも死を免れます。ここで死んでいたら、終戦時の首相就任はなく、終戦時の阿南陸相鈴木貫太郎に深く傾倒していたことや、昭和天皇からの絶大な信頼を受けていた鈴木貫太郎だったからこそ、聖断スキームにより終戦へと持ち込めたことを考えると、鈴木タカは、夫を救っただけでなく、日本を救ったと言っても過言ではないと感じました。
鈴木タカは、幼少時の昭和天皇の養育係を務め、妻に先立たれた鈴木貫太郎の後妻となりました。インタビューでの声も、昭和40年収録とのことでしたが、実にしっかりしており、人柄が偲ばれました。鈴木タカも昭和天皇から信頼されており、孤独の中にあった昭和天皇にとっては、鈴木貫太郎は父がわり、鈴木タカは母がわりのような存在だったのでしょう。記念館の展示品の中には、昭和天皇からのご下賜品の幼少時の衣服もあり、興味深く見学しました。
記念館の近くの寺に、鈴木貫太郎のお墓があり、記念館見学後、立ち寄ってお墓参りをしました。線香もお花も持ち合わせておらず、門を入ると墓参者用の手桶と柄杓が置いてありました。これは良いと思い、手桶に水を汲み、お墓へ行って墓石全体に柄杓を使ってなみなみと水をかけて供養し、救国の首相の墓前で、深く頭を垂れ手を合わせてお参りをしました。寺にはまったく人影もなく、終戦記念日に、救国の首相の墓前に参っている人はごくごくわずかのようでした。猛暑まではいかないまでも、それなりに暑い日であり、鈴木貫太郎翁も喜んでくれたかもしれません。
平成最後の終戦記念日の、思い出に長く残りそうな訪問、墓参となりました。