NY地下鉄で死ぬ直前の男の写真が撮られたとき、他の乗客は何をしていたか

http://www.newsweekjapan.jp/column/takiguchi/2012/12/post-599.php

カメラなど出している暇があったら、なぜこの乗客を救出しなかったのか、という非難の声が一斉に上がった。彼が写真をニューヨークポスト紙に売ったのも、所詮は金欲しさからの行動だった証拠ではないのか、と。

近くにいた人の一部は電車が近づいてくるのを見て逃げてしまったこと、そして人命を救おうとしなかったばかりか、スマートフォンなどでこの様子を写真やビデオに収めていた人々もいたという。当時の事情が明らかになるにつれ、電車と男性とカメラマンだけではない、もっと広い背景が見えてきたのだ。その意味では、カメラマンだけを責めるのは筋違いだろう。

問題の写真は、私もネットの記事で見ましたが、ホームから線路上に転落した人が、ホームに手をかけつつ迫りくる電車を見つめていて、見ているだけでも、何とかしてあげたい、何とかならなかったのか、と思わせるものではありました。
当時の状況の中で、撮影したカメラマンや他の乗客が、現実的に、犠牲者を助けられる状態にあったのかどうかはわかりませんし、仮に、そういう可能性があったとしても、そうした救助活動は、救助する側にも危険が伴うもので、救助活動を強いることはには無理があるでしょう。
ただ、やはり、こうした緊急事態が起き、人の生命がかかわっているような場合は、人道や人命救助を最優先して行動するよう、日頃からきちんと心構えをしておかなければならない、と私は思いますし、写真を撮影することが可能であれば、カメラは投げ捨ててでも危険にさらされている人に駆け寄り、手を差し伸べて引っ張り上げる、そういう行動が取れる人間でありたい、という気がします。
こうした緊急事態、危機にあってこそ、人の真の姿、価値といったことが問われる、ということを改めて考えさせられました。