冤罪足利事件―「らせんの真実」を追った四〇〇日

冤罪足利事件―「らせんの真実」を追った四〇〇日

冤罪足利事件―「らせんの真実」を追った四〇〇日

以前、下野新聞の取材を受け(この本の中でもコメントが掲載されています)、贈呈を受けていたのですが、きっちり読んでいなかったので、出張の機会を利用して読んでいるところです。大体読んだので、帰京するまでには一通り読めると思います。
読んでいて強く感じるのは、既に多くの人々から指摘されているように、当初の鑑定に無理がある、自白と客観的状況が合わない、元被告人自身が1審途中から無実を訴えている、といった、様々な問題があり、また、確定判決の後の再審請求段階でも、最新の技術でDNA鑑定をやり直す事がもっと早くできたはずであるなど、無辜をもっと早く救済する方法があったにもかかわらず、再審無罪になるまで、長年月がかかってしまったということです。現在、東京高裁で審理中の東電OL殺人事件でも同様の問題状況が生じていますが、過去の鑑定について疑問、問題がある場合は、原則として、最新の技術で再鑑定を行う、ということが、ルールとして定着、徹底される必要を感じます。
さりげないところに、冤罪が生じる芽のようなものが存在するものであり、それが芽から大きくなって行かないように、芽の段階で摘んでおけるように、こういった本が広く読まれ教訓が引き出されるべきであると、改めて思いました。