http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091202/crm0912021042010-n1.htm
「女性に興味があった」と容疑を認めているという。
煩悩、仏教ということで、親鸞聖人の逸話を思い出しました。検索すると、ここで紹介されていました。「女犯の夢告」、「救世観音の夢告」と言われているそうです。
http://www.shinrankai.or.jp/b/shinsyu/infoshinsyu/qa0302.htm
その95日めの夜明けに救世観音が顔かたちをととのえ、りっぱな僧の姿を現して、真っ白な御袈裟を着て、広く大きな白蓮華の花の上にしっかりと座って、親鸞に次のように告げられたと、聖人自ら記されています。
「行者がこれまでの因縁によってたとい女犯があっても私(観音)が玉女の身となって、肉体の交わりを受けよう。
一生の間、よく荘厳してその死に際して引き導いて極楽に生じさせよう。
救世菩薩は、この文をとなえて言うには、 『この文は私の誓願である、一切の人々に説き聞かせなさい』 と告げられた。
この知らせによって数千万の人々にこれを聞かせた、と思われたところで夢が覚め終わった」
それまでの仏教には、僧侶は一切女性に近づいてはならないという、厳しい戒律がありました。
しかし、色と欲から生まれた人間が、色と欲から離れ切れない絶対矛盾に突き当たって、悶え苦しんでいられた親鸞聖人に対して、
「もしあなたが女性の肉体と交わりを結ぶ時は、私(観音)が玉女という女となってあげましょう」
と告げられたのは、ありのままの人間として、男女が結婚して人生を荘厳できる阿弥陀如来の絶対の救済のあることを、救世観音は夢によって教導なされたものでしょう。
親鸞聖人ですら、「色と欲から離れ切れない絶対矛盾に突き当たって、悶え苦しんでいられた」わけですから、普通の僧侶が煩悩から逃れられないのは、当然ではありますが、スカートの盗撮は駄目ですね。
宗教の当否を論じるつもりはありませんが、聖職者の妻帯を認めていないカトリックの世界で、
アイルランド教会での児童虐待、政府が謝罪
http://www.christiantoday.co.jp/main/international-news-2604.html
といった、下半身がらみのスキャンダルが後を絶たないことと比較すると、上記のような親鸞聖人のエピソードや結婚ということへの考え方の違いには、興味深いものを感じます。