【秋葉原通り魔】「舞はもういない」

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080727/crm0807272228027-n1.htm
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音楽鑑賞が趣味だったという武藤さん。昨年9月にはアマチュアバンドコンテストの司会も務めた。滑らかな口調と気の利いた紹介ぶりは、審査員をうならせるほどだった。その打ち上げで武藤さんは「緊張しました」とはにかんだが、スタッフからの拍手は鳴りやまなかったという。
好評のため武藤さんは今年も司会を依頼され、打ち合わせを行うなど準備を進めてきたが、その矢先に事件に巻き込まれた。

舞さんと一緒にコンテストの準備に携わってきた会社員の佐藤紀子さん(30)は、「今年も本番の9月が近づいてきますが、舞を思いださずにはいられません。ちょうど1年前には舞が司会していたのに、もういないんだなと…」
佐藤さんは言葉を詰まらせながらも続けた。「同種の事件が続きますが、世間が秋葉原の事件を忘れていくのは当然かなとも思います。思い出の季節が巡ってきたとき、自分たちが思いだせればそれでいい」。

私などは、もう40代半ばで、このまま世間の片隅で朽ち果てて行くだけの上、これまでの人生でそれなりの経験もしてきて、たとえ通り魔に襲われて死んでも、遠のいて行く意識の中で悔いはほとんどないのではないか、と思っていますが、この記事に出てくる人々は、今後の人生に様々な明るい、前向きな希望を抱いていたものと思われ、それだけに突然の死は無念だったのではないかと思います。また、残された人々にとっても、かけがえのない人が世を去りもういない、という喪失感ほど、重く耐え難いものはない、という気がします。
夏は、世を去った人々の魂が再び戻ってくるとされる季節でもありますが、心静かに亡き人々を偲び、我が身、我が行いを振り返るとともに、より良い社会を築くためには何をすべきか、といったことも考えてみたいものだと思います。
私の郷里の広島では、お盆の季節に、お墓に灯籠を立てる習慣があり、通常の灯籠が何色かの色が入っているのに対し、初盆の故人には白い灯籠を手向けることになっています。今年は、いつもの年よりも、あの事件、この事件と、白い灯籠を手向けなければならない悲惨な事件が多いような気がして、気持ちが沈みがちになります。