『もうおしまいだ』と自白迫る

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tcg/20050219/lcl_____tcg_____000.shtml

しかし、結果的には事実でない供述調書ができあがり、事実でない物証などを押収する形になった。男性の犯行前後の足取りやアリバイも確認できなかったという。

私は、報道に「踊らされて」いるわけではないので、ここに書いてあることを鵜呑みにしているわけではありませんが、こういう経緯だったのかもしれないな、とは感じますね。
供述以外の証拠では犯行の客観的な裏付けが取れない、秘密の暴露もない、というのが、一般の事件では多いですね。だからこそ、供述そのものの信用性が問題になるわけですし、下記のような「特信性」が激しく争われることにもなります。
この宇都宮の事件で、真犯人が出てこなかったら、最終的に有罪になるということも十分あり得たでしょう。共犯事件であれば、この被疑者の供述調書(特に検面調書)によって、別の人間が有罪になる、ということもあり得たのではないかと思います。
客観的な裏付けが特にない、秘密の暴露もない、捜査段階では認めている、しかし公判では否認している、といったことは、よくあることで、そういう場面での、任意性、信用性、刑事訴訟法321条1項2号の「特信性」認定のあり方には、なかなか難しいものがあります。
「何も問題がない。」という認識では、建設的な議論も意見も生まれてこないので、現状を冷静に分析しつつ、考えてみたいと思っています。