良心と利益の狭間

年末年始に、たまった新聞や雑誌を読みながら整理していたが、12月11日の朝日新聞のオピニオンで、国際経済交流財団会長の畠山襄氏が、武器輸出3原則の緩和について、

ミサイル防衛システム関連に絞り、他には拡大すべきではない。武器輸出を認めれば、量産効果で日本の防衛産業は格段に強化されるし、国産兵器の価格も下がり財政当局も助かる。しかし、戦後の日本は敢えてその道は採らず、平和国家として高い志を掲げ、武器輸出を禁止してきた。今後もその旗印を高く掲げるべきである。」

といった意見を述べられていた。
それを読んで、先日亡くなった作家アーサー・ヘイリーの「ストロング・メディスン」に出てきた場面を思い出した。主人公で製薬会社に勤務する女性が、強い副作用のある薬品の開発に強く反対し、結局、極めて限られた範囲内での開発にとどまっていたところ、他社で開発、販売した同種薬品により深刻な薬害が生じた・・・という事態の後で、主人公が、死の床に伏した勤務先の薬品会社の経営者に呼ばれ、「君のおかげで、私は、良心の呵責に苛まれずに死んで行ける。」と涙ながらに礼を言われた上で、「君は見所がある。自分の才能を信じなさい。他人の劣った意見に左右されてはいけない。信念に従って行動しなさい。」と言われる、という場面であった(記憶だけで書いているので、多少不正確になっているかもしれない)。
畠山氏が指摘されるように(私も軍事評論家の江畑謙介氏の著作などが好きで読むので理解できるが)、武器輸出には、経済面をはじめとする様々なメリットがある。しかし、日本が輸出した武器により、世界各国で、多くの人々が戦陣に散り戦火に倒れる、といった事態が頻発すれば、心ある日本国民には耐え難いことになるし、世界各国の日本に対する見方も、武器輸出3原則を堅持していた時に較べると厳しくなることは必至である。良心か利益か、といった二者択一を迫られた時、我々は良心のほうを選択すべきではないか、ストロング・メディスンに出てくる経営者の言葉を噛みしめるべきではないか、と強く感じた次第である。