winny正犯に関する京都地裁判決を読んでみて

奥村弁護士のブログでも紹介されている

http://courtdomino2.courts.go.jp/kshanrei.nsf/c1eea0afce437e4949256b510052d736/75f4203576aa0a5d49256f77000e906b?OpenDocument

を読んでみました。内容自体は、特に問題ないと思いましたが(弁護人批判の点は除く)、気になったのは、弁護人の主張に対する判断について、「全く理由がない」とか、「全く当を得ない」とか、そういった表現が目立つことです。別に「全く」とかつける必要もないし、どうも、感情的になっているようで、見苦しいと思いました。裁判所や検察庁は、一種の権力的存在ですから、いろいろな主張をぶつけられたり、批判されたり、時にはいわれなき誹謗中傷などにさらされることもあります。私も、検察庁にいたときには、真面目に一生懸命やっているのに、そういた攻撃を受けて、悔しい思いをしたことも何度もあります。しかし、そういった場合に、感情的になって見苦しい文章を公にするようでは、良い意味での威厳は保てませんし、国民の信頼も得られないでしょう。
そもそも、弁護人の主張に対し、感情的になりながら判断を示していますが、きちんと訴訟指揮を行って主張を整理し、裁判所の判断で、これは争点にもなりえない、としたものについては、立証の必要も認めない、といった適切な訴訟運営を、この裁判所はしていたのだろうか?という疑問も感じます。そういったこともせずに、最後の判決になって、

本件は,弁護人が,種々の主張をして争ったため,審理に約1年間を要することになったものの,この弁護活動は,被告人の公判供述等に照らすと,果たして被告人の意思に適ったものであったのか疑問なしとしないから

などと、審理が長期化したことを一方的に弁護人のせいにして済ませて良いのか、と、素朴な疑問も感じます。こういった弁護人の批判をするなら、「本件では、裁判所も的確な訴訟指揮を行わず、漫然と審理を長期化させ申し訳なかった」と付け加えておくべきでしょう。
裁判所の独善性が露骨に出た判決で、非常に後味が良くないですね。こういう判決を書いてはいけない、という「悪い見本」として貴重かもしれません。