シュミット元CEOが語る「Googleの失敗」

http://wiredvision.jp/news/201106/2011060219.html

なぜソーシャルネットワーキングに注力できなかったのかと問われたSchmidt会長の答えはシンプルだった。「私は忙しかった」。日常業務に追われていたというのだ。
Schmidt氏は今年はじめにGoogle社のCEOを辞し、業務執行を兼任しない会長(non executive chairman)となっている。同社の共同設立者であるLarry Page氏が、現在のCEOだ。Schmidt会長によると、Google社の社内構造も適切なものではなくなっていた結果、Page氏やもうひとりの共同設立者であるSergey Brin氏は、社内の命令系統を整理し直す(日本語版記事)ことに決めたという。

グーグルのサービスは巨大化していますが、SNSについては手薄で、今後、そういった弱さが、次第にじわじわと影響してくる可能性は高いでしょうね。早い時期に、買収するなり自らサービスを立ち上げるなりしておけばよかった、という後悔の念が、上記の記事から感じられます。
「私は忙しかった」という言葉には、他人事とは思えないものがあり、忙しくても、将来を見据え、種をまいておいたり布石を打っておく、といったことは、やはりやっておかなければならないのだな、ということも感じました。

2011年06月02日のツイート

「社会貢献してから死んで」 裁判官が公判で被告に

http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011060101000978.html

裁判官が被告人質問で「いつになったら社会貢献するの。(事件当時)死ぬつもりだったと言ったけど、もう少し社会貢献してから死んでくださいよ」と発言した。

裁判官は約15分間、覚せい剤の常習性や出所した場合の受け入れ態勢などをめぐって被告と“議論”。

どういう「議論」をしたか、記事からはよくわかりませんが、コミュニケーション能力の低い裁判官が、被告人質問でくだらないことを口走ったり、説教を垂れたりする場面というのは、時々遭遇することがありますね。被告人「質問」ですから、答えを引き出すような質問をすべきで、議論するのは無駄であり、説教も程々にとどめておかないと、傍聴人や国民の失笑を招くことになるでしょう。
被告人が、納得して刑を受け、服役する場合も納得して服役することが、更生や再犯防止へとつながるもので、幼稚な言動が、そういった刑事裁判の機能を阻害しかねない、ということを、特に、コミュニケーション能力の低い裁判官は肝に銘じておく必要があるのではないか、という気がします。