印象に残る一節

先日、本ブログでコメントした

広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像 (中公新書)

広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像 (中公新書)

は、その後、徐々に読み進んで、間もなく読み終わろうとしていますが、昭和天皇広田弘毅に対し失望し、戦後になっても厳しい目を向けていたことを紹介した部分で、

危機的な状況にあって政治指導者は、うつろいやすい時流に染まってはならない。国家の岐路に立つ瞬間であればなおのこと、大勢に順応するのではなく、大所高所から責任ある決断力を発揮すべきである。最晩年の天皇は、ときの権力者や後世にそう言い残そうとしたのかもしれない。逆説的な表現ながら、身をもって体験した敗戦から学んだ歴史の教訓だった。
(195ページ)

とあって、広田弘毅という人物の、最も致命的であった弱点を突いているとともに、政治家としての非常に重要な資質を指摘しているように思いました。
広田弘毅とは、置かれた立場が異なり、軽々には比較できないものの、広田弘毅と同じ外交官出身であり、戦後、首相となった吉田茂は、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060831#1156952325
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070120#1169288028

でもコメントしたように、ただ時流に流されるのではなく、日本を亡国の淵から救い出すべく身命を賭して終戦工作に従事していて、人間としての身の処し方ということを改めて考えさせられました。

遺族14人、夢つづる 日航機墜落、22冊目の文集

http://www.asahi.com/national/update/0812/TKY200808120107.html

栗原さんの自宅には、孫の祥(さち)ちゃん(当時1)がはいていた赤いサンダルや、嵩志さんが愛用したランニングシューズなどがある。23年たった今も2人のぬくもりが感じられるこうした遺品と、原形をとどめない機体が頭の中で結びつかない。なぜ、子や孫は命を絶たれてしまったのか。
「事実はそこにあるが、それを解明することのできないもどかしさ……」
嵩志さんたちが帰ってくるという、かなわぬ夢を胸に栗原さんは思う。航空機事故の再発防止という願いはなぜ届かないのかと。

亡くなったご一家の幸せそうな写真、その写真の中でお子さんがはいている、おそらくお気に入りであったと思われる赤いサンダル、その遺品のサンダルをじっと見つめる祖父の姿を見ていると、改めてこの事故が未曾有のもので、犠牲者だけでなく残った多くの人々の運命も大きく暗転させた、ということを感じさせます。
昨日は、23回目の「あの日」でしたが、あの暑かった一日を思い出しつつ、犠牲者のご冥福と、空の、それ以外の分野での安全ということを祈念したいと思います。