イスラム国:国家的統治 フセイン政権残党が組織

http://mainichi.jp/select/news/20140915k0000m030093000c.html
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フセイン政権の残党がイスラム国と結びついたのは、イラク戦争後に政府軍が解体され、バース党幹部が公職から追放されたためだ。フセイン元大統領は自身と同じイスラムスンニ派を重用していたが、新政権への移行は人口の約6割を占めるシーア派が主導。不満を募らせた元政権幹部が、スンニ派イスラム国に流れる土壌ができた。

過激派に詳しいイラク人の安全保障専門家のヒシャム・ハシミ氏は「フセイン政権は政教分離世俗主義で、宗教色が薄かった。だがシーア派中心の政府に排除され、スンニ派の元幹部らがイスラム原理主義に染まった」と指摘する。

イラク戦争開戦の理由となった「大量破壊兵器」が、実際は存在しなかったことが後に徐々に判明したことは今なお記憶に新しいところですが、そうまでして無理に開戦しその後も多数の米兵等が犠牲になって、その結果、生み出されたものがイスラム国であった、といのは皮肉なことと言うしかありません。処刑されたフセイン元大統領も、いろいろと問題があり、そうであるからこそ処刑までされるに至ったわけでしたが、イスラム国に比べれば、まだ理屈は通じる相手であり国際社会が圧力をかけコントロールできる余地があったと言うべきでしょう。目の前の悪に目を奪われるあまり、それを排除することで、より大きな悪を生み出してしまったという現状に、巻き戻せない時間への苛立ちのようなものを感じます。
何事にも通じることですが、敵を追い詰めすぎることで、窮鼠猫をかむ、といった状態になってしまい、手ひどい反撃を受ける、ということはできるだけ避けるべきで、適度に、ほどほどにとどめておくことの重要性、有用性ということを感じさせるものがあります。