自殺について思うこと

最近、渦中にある研究者が自殺したことでいろいろと報道されていますが、ブログやツイッターでいろいろとコメントすることが、悪影響を与えかねず控えていて、ここでちょっとコメントしておきます。
私も、身近な、仕事でつい最近まで普通に話をしていたことが突然に自殺してしまい、驚き「なぜ?」と思ったことがありますが、人にはいろいろなタイプがあり、自分でいろいろなことを抱え込んでしまい後ろ向きの発想を重ねて行くという人もいて、そういう人のタイプとも関連しますが、扱っている問題、状況の中でうつ病などの精神疾患を抱えてしまうということも、ありがちなことだと思います。
その人の内面の問題に踏み込むことには限界がありますが、様子が変だな、おかしいなと感じたら、感じただけで済ませるのではなく、積極的にその人にアプローチして休ませるとか診察を受けさせる、といった仕組みが、社会、組織の中に、もっとなければならないと思います。特に、組織の幹部、管理職にあるような人の場合は、従来は、そういう人は自分自身をマネジメントできるはず、という発想で取り扱われていて、そういうところが、中堅幹部以上の自殺につながってきた面があるのではないかと思います。一種の「しきい値」のようなところを超えてしまったような人、そういう場合は、もはやその人の自己責任での対処に委ねることはできない状態になっている、そういうことは十分にあり得るということを織り込んだ仕組みづくりをしておく必要性を強く感じます。
上記の研究者に対する、マスコミのバッシングにはすさまじいものがありましたが、中には、違法性があるもの(名誉毀損、プライバシー侵害など)もあったのではないか、それが自殺の原因の一つになったのではないかと思われますが、そういう「報道被害」に対して、我々弁護士としても、うまくサポートし対処すべきものには対処して、叩かれっぱなしで自滅してしまう、といった事態を防止できるように、そういう存在として依頼が受けられるように、さらに努力しなかればならないということも感じます。
世の中は実力次第だ、自己責任だ、といった、そういう方向だけでなく、行き詰まりつつある人、落ち込みつつある人をうまく救済できる、セーフティーネットが社会の下のほうで様々に張ってあって、落ちてくる人をそこでうまく受け止められるような、そういう社会になるために、皆で力を合わせなければならないと感じています。