http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111022-00000024-mai-soci
陸大の研究部部員を務めた後、私は支那派遣軍総司令部の参謀として南京に赴任した。妻は華族の出身であるが、皇族の生活は一段と厳しく、忙しいから、留守を守っていた妻の労苦は並々ならぬものであったに違いない。
私は帰国後、大本営の参謀などを務めているうちに、敗戦となった。三笠宮家は新しく創設されたために経済的な基盤がなかったばかりでなく、空襲で邸(やしき)が全焼したため、経済的な労苦はほかの宮家と比べてはるかに大きかった。それを支えてくれたのも妻であった。
三笠宮崇仁親王殿下と百合子妃殿下の歩みの中心は昭和とともにあり、終戦までの親王殿下は、終戦工作に関わるなど、苦難の道を歩んで来られました。
終戦時には、阿南陸相から親王殿下に対し、「陛下が降伏の決意を翻し、戦争を継続していただくよう申し上げていただきたい」と懇願されたものの、これに断固として応じず、妃殿下が陸相を見送った際の様子について、「なんともお寂しそうな後ろ姿で、こちらまで感傷的になったのを忘れられません」と語られています。親王殿下が軽挙妄動に走っていれば、昭和天皇や鈴木首相による聖断スキームによる終戦工作が、もろくも瓦解していた可能性があります。
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070708#1183890987
ご夫妻のご長寿、ご成婚70周年を寿ぎ、今後もお健やかにお過ごしいただきたいと思います。