蒋介石との直談判促す書簡…吉田茂、近衛文麿に

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110305-00000950-yom-soci

手紙は1944年12月24日付。同年10月のレイテ沖海戦で海空戦力の大半を失い、戦局の悪化を受けて書かれたものとみられる。
吉田は、〈外交局面打開之途(みち)ハ唯対支干係(関係)あるのみ、重慶ニ通するの途ハ以て米英ニ延長連繋(れんけい)せしむへく〉と、日中戦争が終わればこれに介入した英米も戦争継続の意義を失うと指摘。日中戦争の泥沼化を招いた近衛に〈閣下自ら渡支、(中略)日支相提携して全世界和平発議を提唱せられんか〉と説いている。しかし、近衛の訪中は実現せず、当時の小磯国昭内閣は戦争を継続した。

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060831#1156952325
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070120#1169288028

でコメントしたように、吉田茂は、憲兵隊から「ヨハンセン(吉田反戦グループ)」とコードネームで呼ばれ徹底的に監視され、遂には近衛上奏文問題に絡んで逮捕までされるに至りますが(なぜか釈放されその経緯は謎とされています)、和平、救国を目指し危険を顧みず果敢に活動しており、その中で、上記の記事で紹介されている書簡も書かれたのでしょう。
近衛文麿に、自ら中国に渡り交渉すべきと進言する、吉田茂の気迫が伝わってくるようで、興味深いものがあります。国家、国民に大きな影響を及ぼす地位にある者の身の処し方ということを考える上でも参考になるという気もします。