「今日はおかしなニュースがやけに目に留まる」

http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10192811865.html

今日は、妙にアクセス数が多いな、と思って見たところ、上記のエントリーで取り上げられている影響であることがわかりました。

この人のブログを見ると、大体検察官がどのようなメンタリティで仕事をしているのか分かると思います。大体学校のクラスには一人はかならず居るタイプです。

というのは、後段の趣旨がいまひとつよくわかりませんが、それだけ注目していただいたということで、取り上げていただいたお礼(?)に、若干、コメントしておきます。
エントリーの中で、裁判官と検察官が身内びいきになる、というのは、確かに、従来はそういった側面があって、本ブログでも、そのことについて批判的にコメントしたことが何度かあります。ただ、最近の無罪判決の増加、無罪に限らず検察庁に対する厳しい判断が裁判所により示される機会が増えていることなど、従来の傾向が変化してきているということも見逃すべきではなく、従来の傾向を固定的に捉えるべきではないでしょう。
偽証罪について、従来、立件例は多くはありませんが、ないわけではなく、本ブログでも、

偽証起訴、10年で5倍超 年数件から06年23件に
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080120#1200755561

と取り上げコメントしたことがあります。ただ、確かに、立件例の中で、検察官申請の証人がどれほどいるか、と言えば、皆無であることは間違いなく、これは、偽証罪の立件ということが不公平に行われやすいということでもあるでしょう。私が、前のエントリーで、

ただ、偽証かどうか、ということには、なかなか微妙な場合もあり、検察庁が、立証に支障を来たす証言を安易に「偽証」と決め付け、公判を有利に進めるため、根拠がない、あるいは薄弱なまま捜査の対象にする、といったことは厳に慎むべきでしょう。

と述べ、本日のエントリーでも同趣旨のことを述べている背景には、そういった実態に対する認識もあります。
偽証罪における「偽証」は、「自らの記憶に反する証言をすること」であり、その立証は容易ではなく、無理な捜査、起訴をすると、

偽証罪の母親に無罪 長男の公判でアリバイ証言 『検察調べで苦痛』
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070602#1180743795

といった無残なことにもなりかねない上、偽証する人というものは、被告人を何とか助けたい、無罪にしたいと強く思うからこそ偽証するもので、逮捕するとか、起訴猶予にしてやるといった恫喝、懐柔で簡単に証言を翻すようなケースは、皆無とは言いませんが、かなり少ないでしょう。それだけに、偽証の疑いがある場合の捜査は難しく、慎重に進める必要がある、というのが私の認識、理解です。
なお、検察官調書と食い違う証言があった場合に、検察官調書が採用されがちで、それは問題である、ということは、以前、

供述調書(特に検察官面前調書)について
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050221#1108916083

でコメントしたことがあります(その後、考えがやや深まっている面がありますが、それは別の機会にコメントすることもあるでしょう)。そこを何とか打ち破っていかなければ、ということを、今の私は、日夜、考えているということを最後に付け加えておきます。