悪い面だけ注目してもろくなことがない--Winny事件から見た社会規範

http://www.asahi.com/digital/cnet/CNT201205010049.html

新井氏はWinny事件について「警察や検察が、法律で定められたルールを踏み越えて開発者を無理に逮捕した事件」と説明し「何をやってはいけないかは、国民とその代表者が集まる国会が決めるべきもの」と語った。ただ、日本国民はそのルールを作る意識が薄く、政治活動は危険で難しいものと考えられている。

私は、単なるしがない弁護士ですから、こういったところで偉い方々が展開される難しい話はよくわかりませんが、Winny事件について言うと、「法律で定められたルールを踏み越えて」というよりも、従来の刑法理論における幇助理論では、現代の高度に発達した社会ではあらゆる場面で幇助犯を生みかねず、適切に犯罪成立範囲が限定されていなければならなかったのに、それがされていなかったことで、「法律で定められたルールと捜査機関が考えたもの」が適用されようとした事件ではないかと思っています。捜査、公判の過程で、そういった問題意識は広く共有されるようになりましたが、最高裁が、無罪判決に対する検察官控訴を棄却したものの、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20111221#1324429431

でコメントしたように、決定で示された判断は、中立的行為に関する幇助犯の成立に適切な絞りをかけ切れずソフト公開、提供といった行為については今後も萎縮的効果が生じる恐れが残るもので、この種の行為が今後も過剰な立件、処罰の対象になる恐れは依然としてあるでしょう。
無罪になったから良かった、で終わらせるのではなく、この事件を契機に、さらに検討を深めて行くべき必要性を強く感じます。