新司法試験に関する今日の日経朝刊記事について(批判的検討)

ネット上で記事が見当たらないが、今日の日経朝刊の「教育」面で、大宮法科大学院の宮澤節生氏が、「新司法試験の単年度合格率 理念維持へ最低5割」などといったテーマで寄稿しているのを読んだ。
私は、法科大学院生(教員ではないことに注意)に対しては同情的であるが、そういう立場から見ても、上記の寄稿内容は首を傾げるようなものであった。
要点を私なりにまとめてみると、
1 法科大学院は、教育等に懸命に努力している
2 ところが、法務省の試算によると、新司法試験の合格率は2割程度にとどまる
3 そうなれば、法科大学院制度が崩壊してしまう、単年度合格率を最低5割にすべきである
4 最低5割にしないと、在学生が履修に専念できなくなる、米国では司法試験の合格率が平均5割を超えており、ロースクールで受験指導などする必要がない、最低5割にしないと、日本の法科大学院は受験予備校に堕してしまう
5 合格者は、3000名どころか、5000名にしても良い
といったものである。
しかし、である。その主張は、様々な点で脆弱なものをはらんでいると思う。
上記1については、確かに、努力していることは認められるであろう。しかし、「努力」が「結果」「成果」に結びつくかということは、まったくの未知数である。とんだ徒労を重ねているだけかもしれないし、教員と学生が、ピントはずれの自己満足に浸っているだけかもしれない。そもそも、これだけ雨後のタケノコのように乱立している法科大学院で、将来、法曹としてきちんとやって行けるだけの人材がどれほど育成できるのか、外部だけでなく内部でも疑問に思っている人は多いのに、「努力している以上、結果も成果も出るはずだ」といった宮澤氏の論調は、既にそこからして理解が得られにくいと思う。
上記3については、やや細かい問題になるが、なぜ「最低5割」という数字が出るのか、根拠が不明確である。5割が合格しても、残りの5割は不合格になる。5割が不合格という数字も、かなり深刻なものがある。最低とはいえ、ここまで5割、5割と言われると、「なぜ5割なんですか?」という疑問が当然生じる。
上記4が最大の問題であるが、この人の発想は、「法科大学院教育イコール善」、「受験勉強イコール悪」という、どこかの国の大統領ではないが、一種の善悪2元論ではないかと思う。そして、「善が悪に手を染めてはならない」という発想がそれに続く。しかし、本当にそういう発想が正しく、多くの支持を得られるかには、大きな疑問がつきまとうであろう。
法科大学院では、そもそも、厳しい教育と厳格な単位認定が行われるはずであると聞いているが、「厳しい教育」はともかく、「厳格な単位認定」が行われているという話は聞かない。出来が悪い学生であっても、単位は認定し、進級させるという日本の大学制度の悪弊が法科大学院にも持ち込まれている可能性が高いと思う。宮澤氏の寄稿を見ても、単位を安易に与えず、在学生について厳しく選別を重ねている、という記載はない。要するに、この人は、法科大学院に入った人は、例外を除き、ほとんどそのまま卒業する、ということを当然の前提にしているのだと思う。
法科大学院で、単位を安易に認定しないという厳しい教育が行われていても、また、そういった厳しさが欠けているのであればなおさら、新司法試験では、法曹としてやって行ける能力があるかどうかが、きちんと試される必要があるだろう。「最低5割」が合格しても、残り5割は不合格になる以上、やはり、厳しい競争が行われることになる。先日、発表されたサンプル問題を見ても、法曹としての適性をきちんと見ようという試験になることは間違いないし、そういった厳しい競争が行われる以上、法科大学院の教育も、新司法試験に合格しうるような充実したものでなければならない。また、個々の受験生が、試験勉強をする必要があるのは必然であり、準備の中で、予備校を利用する、ということもあり得ると思う。法科大学院のカリキュラムをきちんとこなしていれば、それ以外で無用な負担がかからないのが望ましいとは思うが、世の中、そんなに甘いものではないし、厳しい競争をくぐり抜けることで、実力が涵養されるという面もあるだろう。
ところが、宮澤氏の主張は、そういったあたりまえの現実論とはかけ離れており、要するに、新司法試験により法科大学院が負担を被りたくない、自分たちは好き勝手な教育を誰にも邪魔されずやりたい、放っておいても法科大学院卒業生が最低5割は新司法試験に合格できる状態に持ち込んで、学生に文句を言われたり受験勉強の片棒を担がされたくない、という本音を、オブラートに包んだようにして、一種のきれい事として主張しているにすぎないと思う。
米国の例が持ち出されているが、法曹人口が日本とは桁違いに異なり、かつ、日本とは、法曹を巡る状況が異なる(日本では司法書士などの隣接法律職についている人が多いなど)米国を、このような形で引き合いに出しても、説得力はないし、米国でも、司法試験合格のため予備校が活用されている現状(これは、いろいろなところで紹介されている)を欠落させた上での主張は、不誠実と批判されてもやむを得ないと思う。
こういった、粗末な主張を繰り返し、合格者を5000名に、などと言っても、国民の広範囲な支持を受けることは難しいとしか思えないし、「結局、法科大学院を運営する立場の人間の主張はこの程度か」と、失笑を招くだけで終わりかねず、かえって、法科大学院生の利益には結びつかない恐れがあると強く憂慮するものである。