被告自殺で公訴棄却 裁判員裁判で保釈中の教諭

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100908/trl1009081911015-n1.htm

関係者によると、教諭は6月に保釈され、自宅で家族と生活。その後行方不明になった。7月上旬、滋賀県内のキャンプ場のトイレで首をつっているのが発見された。弁護人は保釈の際に家族に、1人での外出に注意するよう伝えていた。
教諭はことし3月、和歌山県内のスーパーでパジャマや鍋などを万引し、呼び止めた男性保安員の股間をけるなどして軽傷を負わせたとして起訴されていた。

事後強盗致傷の事案ですが、以前は、法定刑が7年以上の懲役であったのが、現在は6年以上の懲役になって、酌量減軽すれば、ぎりぎり執行猶予を付すことが可能にはなっています。
裁判員制度導入前であれば、まず保釈になることはなく、起訴後、1か月程度で第1回公判があって、事案に争いがあるような事件には見えませんから、6月までには判決が出ていたでしょう。最近の傾向に照らすと、示談等の慰謝の措置が講じられていれば執行猶予が付いた可能性が高かったものと思われます。
裁判員制度が導入されたから自殺した、とは、もちろん言えませんが、制度が変わったことが、この人に与えた影響は良いものではなかったのではないか、という印象は残ります。

2010年09月08日のツイート

スターリンの対日情報工作 クリヴィツキー・ゾルゲ・「エコノミスト」 (平凡社新書)

スターリンの対日情報工作 クリヴィツキー・ゾルゲ・「エコノミスト」 (平凡社新書)

スターリンの対日情報工作 クリヴィツキー・ゾルゲ・「エコノミスト」 (平凡社新書)

新聞で紹介されていて、特に、「エコノミスト」と呼ばれていた情報提供者に興味を感じ、その部分をちょっと読んでみました。
1941年の段階で、日本の国策が南進か北進かを巡り、ドイツの猛攻を受け苦境に陥り日本の北進を脅威としていたソ連に、南進であるという情報をもたらしたのがエコノミストで、ゾルゲ情報以上に重視されていたのではないか、そのエコノミストは誰であったかが、本書で推定されています。戦後のラストボロフ事件で有罪判決を受けた日本人の中の1人であったのではないかと本書ではされてて、根拠にかなりの説得力は感じられましたが、断定はできず、依然として闇の部分は残っているという印象は残りました。
こういった、「人」を通じた情報は、国策に決定的な影響を与えるほど重要性を帯びることがあり、情報収集の重要性と、防諜の重要性は、今も昔も変わらないということでしょう。