「清貧の思想」ふたたび

雑誌「サピオ」の4月8日号で、上記の特集が組まれていて、興味を感じ買って読んでみました。
清貧の思想と言えば、

清貧の思想

清貧の思想

清貧の思想 (文春文庫)

清貧の思想 (文春文庫)

バブル崩壊後に大ベストセラーになりましたが、次第に過去のものとなったような面があり、その後、ヒルズ族が登場したり、「金で買えないものはない」といった、清貧とはかけはなれたものがもてはやされるようになったものの、昨年秋以降の金融危機、未曽有の不況という状況の中で、再び脚光を浴びつつあるのかもしれません。
良寛西行吉田兼好本阿弥光悦やその母などは、景気が良くなると忘れられ、不景気になると脚光を浴びるので、あの世で苦笑しているかもしれません。
人の生き方というものは、その人自身が決めるべきもので、清貧に生きる生き方もあれば、金を追い求め物欲を満足させる生き方もあって、様々ですが、今のような逆風が吹いているような時に、自分自身の生き方や生きる目的といったことを見つめなおしてみるのは良いことで、その中で、今後へと生かせるものを見つけることができるかもしれません。

東京中央郵便局

最近、何かと話題になってますが、昔のナショナルジオグラフィック日本版を読んでいると、2005年10月号の39ページに、「日本の百年」として、完成間近の建設工事風景写真が掲載されているのが目に留まりました。昭和6年当時の風景ということでした。
組まれた足場に竹が使われているのが、今ではなくなった風景で、記事によると、足場として何度も再利用され、戦後になって丸太に取って代わられるまでずっと重宝されていた、ということでした。
記事では、世界的な建築家であるブルーノ・タウトが、東京中央郵便局の建物について、「日本的であり、かつ欧米建築の後塵を拝する点は一つもない。」と絶賛していたことも紹介されていて、こういった貴重で価値ある建物が、全面的には保存されなかったことは、やはり惜しいことであったと改めて思いました。

<酒一気飲み>昨年は大学生ら5人死亡 92年以来3番目

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090328-00000096-mai-soci

5人は95年の8人、93年の6人に次ぐ数。4リットルのペットボトルに入った焼酎を回し飲みするよう先輩に指示された神戸学院大2年の男子学生(当時20歳)や、寮内で行われた新入生歓迎コンパでビールや焼酎を飲んで死亡した一橋大学1年の男子学生(同18歳)らが含まれる。
神戸学院大の学生の父親(52)は「飲ませた学生たちは『無知だった』と言うが、もう息子は帰ってこない。大学側には危機管理能力が欠けている」と学生や大学を批判した。

酒の一気飲みは、死亡にもつながる極めて危険な行為であるということを、様々な方法で広く知らしめて行くことが必要でしょう。人によって、酒が飲める、飲めないということにはかなりの個人差があるので、飲めない人に無理に勧めない、ということも、重要なマナーとして定着させることも必要と思います。
歓送迎会のシーズンですが、こういった不幸な事故が起きないように注意したいものです。

3月末

私も、今月で45歳になってしまいましたが、3月末における自分自身の状態というものも、司法試験合格前からその後の20年余りの、その時々で変化がありました。
司法試験受験当時は、3月末というと、5月の第2日曜日にある択一試験の準備をしつつ、その後の論文試験の準備もできるだけやっておきたいと思い、気忙しくしていたことが思い出されます。花見をしたりする気分でもなく、自分自身との闘い、という状態でした。
検察庁に入ってからは、転勤がない年は他の転勤者が事件ができなくなる分、負担が増えて忙しく、自分が転勤する年は、手持ち事件を処理したり引き継いだりで、やはり忙しく、気がつくと花見のシーズンになっている、という状態であったように思います。
弁護士になってからは、3月末だからということで特に忙しい、ということはなくなりましたが、年度末ということで提訴すべきものは提訴したり、といったことをすべき案件もあって、いつもよりは、やや忙しく気忙しい、ということは言えるように思います。ただ、自分自身の転勤ということがなくなり、4月初めには裁判所、検察庁で大規模な異動があるので、4月初めのちょっとした間隙を利用して、ちょっと出掛けてくるということもするようになりました(遠出はできませんが)。
異動、退職、転職等で、心弾む人もいれば、心弾まない人もいて、人それぞれの時期ですが、生きていれば何か良いこともあるかもしれない、と前向きに考えて、前へ前へと進んで行きたい、そういう季節ではないかと思います。

「バンキシャ」虚偽報道 露呈した「ネット依存」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090329-00000516-san-soci

バンキシャが情報募集に利用していた「取材協力者・出演者募集サイト」とは、放送局独自のサイトではなく、さまざまなメディアが契約する専門のサイトだ。ページ上には在京キー局のロゴが掲出され、利用率の高さをうかがわせる。
メディアへの出演や情報提供に関心のある一般市民が、サイトにユーザー登録する。一方、番組スタッフは、番組内の企画に該当する人や情報を募集する告知をサイトに載せる。ユーザーは該当項目を見つけて応募し、番組からの連絡を待つ−といった仕組みだ。今回、バンキシャは出演料支払いをほのめかす書き込みも行っている。

取材でも捜査でも、「端緒」というものは様々な形であって、端緒がなければその先へ進めませんから、端緒を求める上でインターネットを活用するというのは悪いことではなく、うまく使えば、リアルではつかめない端緒もつかめるでしょう。問題は、その「先」ではないかと思います。
捜査でも(特に知能犯が典型ですが)、これはモノになるのではないか、と思って内偵を進めても駄目になる、というものは無数にあり、どこで捨てるか、いかに捨てるか、といったことを常に考える必要があるものです。駄目なものにいつまでも執着していては、本当にモノになるものに集中できなくなる、といったことは、捜査指揮をする立場の者は常に考えているでしょう。
おそらく、取材でも似たような面はあって、つかんだ端緒について、それを、ただ鵜呑みにするのではなく、ガセネタかもしれない、ということは常に念頭に置き、健全な想像力を働かせながら、生じる疑問を解消するだけの裏付けをとるようにして、疑問が解消できず、解消できないことが真実性に疑いを持たせるようなものであれば、そこから先には進まない、報道しない、ということを、判断すべき立場の人がきちんと判断する必要があるでしょう。
マスコミの体制とか質とかを論じるほど、私は事情に通じていませんが、時々、取材を受けていて感じるのは、特に「映像」メディアの関係者に、予め想定したストーリーに沿って、華々しく見せたい、といった欲求を強く持って、そういった欲求にうまくあてはめる素材を求めてしまっている傾向があるのではないか、ということです。そういった欲求とガセネタを提供し金とか知名度を得たいという思惑が、裏付けが不十分なまま合体してしまえば、今回のバンキシャ誤報問題のような不祥事が起きてもおかしくはなく、問題のある取材体制をかなり大胆に改善しないと、今後も同様の不祥事は続くのではないかと思います。もちろん、映像メディアだけの問題ではなく、最近、高額賠償を命じられたことが話題になっている雑誌をはじめとする「紙」メディアにも同様の問題はあって、他人事ではないでしょう。

これは使えると思った1冊

刑事訴訟法

刑事訴訟法

先日、本ブログで紹介しましたが、その後も、仕事の中で必要に応じて読んでいます。実務的に問題となる点についても、いろいろと書いてあって、これは使えるな、という印象ですね(別に、安冨先生にヨイショしているわけではなく)。
注釈書などをひも解くほどではないが、やや詳しめでしっかりした内容の本で確認したい、ということはよくありますが、そういう時に使えそうで、当面、事務所の執務机のそばに置いておくことにしました。
索引が詳しめに作ってあるのも良いと思います。