運動会練習うるさいと苦情、まだうるさいと今度は脅迫

http://www.zakzak.co.jp/top/2005_05/t2005052712.html

昔、ある地方検察庁にいた時のことですが、すぐ近くに幼稚園があって、寒い時期に「餅つき大会」をやっていました。そのテーマミュージックが一日中、かなりの音響でかかっており、それが、音楽を流しながら、「ペッタンペッタンペッタンペッタン・・・」(餅つきなので)という台詞が、延々とお経のように続く、というものだったため、聞いているほうの神経が参るし、それなりに厳しく取調べをやったりしているのに、検事と被疑者が沈黙すると、「ペッタンペッタン・・・」という音が聞えて、おかしいやら気合が入らないやらで困ったことがありました。
脅迫は言語道断ですが、音については、人によっていろいろな感じ方があるので、難しい問題ではあります。

三菱地所社長が引責辞任 土壌汚染問題で

http://www.tokyo-np.co.jp/00/detail/20050527/fls_____detail__031.shtml

「地所」「マテリアル」は土壌汚染、「自動車」は欠陥車乱造、「重工業」は談合、では、岩崎弥太郎や諸先輩も、お墓の中で泣いていることでしょう。

三菱重工退職社員、他社で橋梁談合「指導役」に
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050527i107.htm

「三菱」って、本当に悪い会社が多いな、と、多くの人が思ってるんじゃないですか。

「旧日本兵2人 比で生存」ミンダナオ島 引き揚げできず山岳に

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050527-00000000-san-soci

同連隊の関係者によると、第三十師団は昭和十九年七月、同島のダバオ市に上陸。同年九月に米海軍艦載機による空襲を受け、翌二十年四月に同島中央部の渓谷地帯マライバライで「自給自戦」を命じられていったん分隊となり、同島北部のワロエで再集合することになっていた。
彼らは小人数で山岳部を転進中に終戦を迎えたため師団の引き揚げに合流できず、残留を余儀なくされた。

「転進」というのは、実は「撤退」のことで、撤退の惨めさを感じさせないための戦中用語と聞いています。上記の経緯を見ると、非常に悲惨な状態で終戦を迎えたものと容易に推測されます。

いずれも高齢のため帰国を強く望んでいるが、戦線から離脱したことで日本での軍法会議にかけられることを強く恐れていることが分かった。

それだけ、旧軍の軍法会議が恐ろしい存在だったということでしょう。
厚生労働省を中心に、早急に救出・救援体制を整備して、帰国できるようにすべきです。

日本海海戦100年 両司令長官ひ孫「いまも尊敬」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050527-00000001-san-soci

日露戦争(1904−05年)で、日本の勝利を決定的にした日本海海戦から27日で100年。

圧倒的な戦力を誇るバルチック艦隊を、連合艦隊が撃滅できたのはなぜか、日本海海戦の圧勝がその後の日本に与えた悪影響は何か、といったことは、考えるに値する、普遍性もあるテーマです。