「東電元3幹部 起訴相当」福島原発事故 検審議決 検察、再捜査へ

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014073102000253.html

捜査の最大の焦点は、東電が二〇〇八年に十五メートル超の津波を試算しながら対策を取らなかったことが過失に当たるかどうかだった。東京地検は「最も過酷な条件での試算で、数値通りの津波の襲来を予測することは困難だった」として過失を認めなかった。
これに対し検審は「地震津波が具体的にいつどこで発生するかは予見できない。想定外の事態が起こりうることを前提とした対策を検討しておくべきだ」と指摘。試算を受けた東電の対応を「時間稼ぎ」と断じた上で「容易に無視できないと認識しつつ、何とか採用を回避したいとのもくろみがあった」と批判した。

以前、不起訴になった際に、

検察当局:福島原発事故 菅元首相ら40人不起訴へ
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20130910#1378823259

原子力発電所」が、いかに危険な存在で、全電源喪失といった深刻な事態が発生すれば、いかなる致命的な事態に陥るか、ということを前提にした予見義務を考えるべきではないかと思います。通常の、例えば、山の上から岩が落ちてきて車に当たる、といった(それはそれで危険なことですが)、生活上ありふれた危険とは、考えるべき危険がけた違いなはずです。
そうであれば、試算によっては最大で15.7メートルの津波が想定されるということである以上、それに応じた具体的措置を講じるべき、ということになるでしょう。これでは、うかつな人間がうかつなまま原発をいじくりまわし、うかつな人間が想定していなかったことが起きれば予見可能性が否定される、という、幼稚園児でもおかしいと思うような、おかしなことになってしまいます。研究が進めばさらに様々なメカニズムがわかるとしても、わからないまでも、想定される最も危険なことに備えておく、それが原発に携わる関係者に課せられた使命であったと言うべきで、このような幼稚な弁解に引きずられた不起訴処分には大きな問題を感じます。

とコメントしたことがありますが、起訴相当、というのは、そういった観点に立った判断であったものと推測されます。
今後、起訴されることになれば、予見可能性がどこまであったかが大きく問題になるはずですが、報道されているような、様々な危険性に関する情報を、東京電力がどのように捉えていたのか、また、組織内でどのレベルまで検討結果が上げられどのような判断がされていたかが、公判で徹底的に審理されることになるでしょう。外国でも、近年、巨大津波が沿岸地帯を襲った、といったことが現実に起きていたのに、裁判所が、15メートルを超える程度の津波を「最も過酷な条件での試算で、数値通りの津波の襲来を予測することは困難」などと東京地検のように大甘の判断をしてくれるかというと、それはどうなのだろうかと素朴に感じるものがあります。