遠隔操作事件で、被告人が全面否認から全面自白へと転じ、弁護人も嘘をつかれて騙されていたと赤裸々に語って、刑事弁護の在り方が話題になっています。それについて、ちょっとコメントしておきます。
刑事事件で、被疑者、被告人が否認することはよくあります。その中には、真実の否認もあればそうではないものもあって、様々です。まず、重要なことは、有罪か、無罪かは、裁判所により証拠によって確定されるべき問題で、それまでは、被疑者、被告人には「無罪推定」が働くこと、そして、弁護人の仕事は、「裁く」ことではなく、無罪推定が働いている被疑者、被告人の主張、言い分を、最大限、捜査機関や裁判所に伝えて、その利益を守るのが仕事であるということでしょう。だからといって被疑者、被告人の主張、言い分を弁護人が鵜呑みにするというわけではなく、どこまで通用するものなのか、証拠も見ながら慎重に検討するものではありますが、被疑者、被告人が、私はやっていません、と言うのであれば、その身が立つように活動するのが刑事弁護というものです。それは、一見、犯罪を正当化し犯罪者をかばうようなものではありますが、攻める捜査機関、検察官に対し、守る弁護人という役割分担の中で双方が熾烈に主張、立証を戦わせることで、その結果として裁判所が下す判断に正当性が付与されるという意味では、優れて公益性の高い活動と言っても過言ではないと思います。
無罪推定が働く中で、証拠により事実関係が確定される前の段階において、被疑者、被告人の利益を図るため、手探りで進める、刑事弁護というものはそういうもので、結果として、被疑者、被告人の否認が虚偽であった、有罪になったというその結論からさかのぼって、被疑者、被告人の利益を図ろうとした(もちろん適法な範囲内で)刑事弁護活動を否定し始めたら、近代的な刑事裁判制度は成り立たなくなってしまいます(江戸時代のお白洲のような制度が良いという人は、そういう国でも探し出して移住でも考えてください)。
ただ、無理な否認には、通用しないリスク、有罪になるだけでなく情状面で厳しく見られて刑が重くなるリスクなど、様々なリスクを抱えるものです。そのリスクは、第1次的には被疑者、被告人が負いますし、その利益を図っていた弁護人も、例えば、被害者やその関係者、被疑者、被告人を有罪と考えていた人々からの批判、非難を浴びたりするリスクを負うことになり、それは避けて通れないものとして、覚悟の上で臨んでいるのも刑事弁護というものです。とは言え、そういうリスクがあるからといって腰が引けているようでは刑事弁護というものはできないもので、その活動の中で無実が明らかになる、誤った有罪が回避されるということが起きてくることも忘れてはならないと思います。