痴漢冤罪 あなたにも 疑わしきはクロ

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061209/mng_____tokuho__000.shtml

痴漢冤罪事件に関する、やや掘り下げた記事で、参考になります。
ここでも紹介されている

お父さんはやってない

お父さんはやってない

は、先日、購入し、少し読んでみましたが、東京高裁での無罪判決シーンは感動的でした。
この記事を読んで、改めて感じたのは、

捜査技術を上げるしかないが、「最近は本当に犯人なのか、心証(手応え)が取れない刑事も多い。仕事が次々に来るので、否認のままで(拘置期限の)二十日も拘置するのはたまらないと、『認めれば、(送検までの)四十八時間で出してやる』という禁じ手を使う」と説明する。

との関係で、最近の警察は、多くの事件に手が回らないのか、「取り調べをしない」ということです。最近、刑事弁護を担当した事件でも、20日も勾留しているにもかかわらず、警察の取り調べは(取り調べるべき点は多々あるにもかかわらず)、わずか2、3回程度しかなく、これでは真相解明も何もあったものではない、と、あきれる思いを禁じ得ませんでした。
被疑者や被告人から、検察官の取り調べの様子を聞いても、ただ、こういうことをやっただろう、嘘をついているだろう、などと、底の浅い、心に響くこともない追及を繰り返すだけで、検察官の意に沿わない答えをすると、怒る、怒鳴る、ふてくされる、といった態度をとり、結局、自白が取れない、ということが多いようです。自白が取れない捜査官が増えれば、弁護士である私の仕事は楽になりますが、本当にこれでよいのか、幾多の難事件で自白を引き出し真相を解明してきた検察庁、警察の真相解明機能というものが、このまま低下して行くのか、という、寂しい気持ちになることが多くなりました。
警察、検察庁は、弁護士が否認を勧めるから自白が取れない、悪いのは弁護士だ、といった悪感情を持ち弁護士をことさら敵視しがちですが(特に、最近はそれが行き過ぎ、弁護士と面談すらしない、という捜査官、特に検察官が増えています、上記の書籍で紹介されている事件でも、捜査を担当した副検事が、弁護人からの面談要請に対し、多忙を理由に会おうとしなかったことが紹介されていました)、弁護人が被疑者、被告人の利益のために動くのは当然のことであり、そういった動きを乗り越えて真相を解明することが捜査機関に課せられた責務でしょう。
事件にも、弁護人にも、真摯に向き合おうとしないからこそ、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20041128#1101647148
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20041130#1101779985

といったことが起きてくると私は思います。
昔、ある事件で、警察がなかなか自白を取れない被疑者がいて、私のほうで徹底的に取り調べを行い、自白を得た、ということがあって、その後、公判で否認(と言うか黙秘)に転じたので、任意性の証人で出廷したことがありますが、その事件では、勾留中の20日間、私は、毎日、被疑者が勾留中の警察署に行って取り調べを続けました。もちろん、事件にもよりますが、取り調べによって真相を解明しようとするのであれば、相応の時間と労力をかける必要があります。取り調べの可視化に関する議論では、法務省警察庁等が、取り調べは人格のぶつかり合いだとか、そういった取り調べが録画・録音されると、真相解明が困難になる、などと主張しますが、実際の現場では、こういった取り調べの機能の著しい低下が、広く深く進行している、という実態が存在していると私は強く感じています。

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060517#1147828783

で紹介した本江氏は、私が平成元年に検事に任官した際、東京地検公判部で、捜査を担当した保険金殺人事件(いわゆる「ロス疑惑」として著名)の公判に引き続き立会されていましたが、当時、会食の席で、(正確な表現は覚えていませんが)「ここが勝負所だと感じ、引いてはいけない、何とか引き出したい、と思って、ぎりぎりのところで踏みとどまろうとすることが多い」といった話をしみじみとされていたことがありました。捜査、公判(特に捜査)で、そこまで骨身を削るようにして頑張る人が、確実に減って行っている、というのは事実だと思わざるを得ません。
こういったことを続けていては、上記のような「心証」を取る能力も身につかず、やってもいない人に認めさせる、上記のような「取引」に依存して冤罪を大量生産する、ということになってしまうでしょう。