http://ryutsuu.biz/topix/f062409.html
カーネル・サンダースは生前、3回来日しており、その都度、「日本が大好き」と語っていた。その理由は、カーネルが1939年に完成させた「オリジナルチキン」の調理法と味をもっとも忠実に守り続けているからというものだった。
KFCの店頭にカーネル立像を常設することは日本が始めたもので、お客からは長年、親しみをもって「カーネルおじさん」と呼ばれている。
落札したスーツは、出品者のマイク・モリス氏が、親しくしていたカーネルから、10代の頃にハロウィンパーティのために借り、その後譲り受けたもので、カーネル・サンダースが82歳(1972年)のときにオーダーメイドでつくられたものとされている。
カーネル・サンダースについては、本ブログでも、以前、
カーネルさん、若返る試み 米KFC
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050507#1115441980
「カーネル人形発見」の広告効果、27億円超
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20090312#1236852310
とコメントしたことがありますが、フライドチキンの出来に非常に厳しく不出来な商品を持っていた杖で払ってその場に落としたこともある、という厳しさと、
http://japan.kfc.co.jp/tale/index.html
にあるように、
「成功は多くの人と分かち合いたい」と、ビジネスを共にする人たちの状況に心を砕き、惜しみなく知識・技術を教え続けました。一方では、少しでも余裕ができると慈善活動を行い、孤児院の子供たちのために毎日アイスクリームをつくったり、肢体不自由児のための基金をつくったりしました。
という心優しさを兼ね備えた、その人格、人間性には、強い魅力を感じます。
生前のカーネル・サンダースが高く評価していた日本のケンタッキー・フライドチキンによって、あの有名な白いスーツが入手され、今後、長く日本の人々に見られ愛され続けることを、おそらく、天上のカーネル・サンダースは、あの笑顔で喜んでいることでしょう。