中坊氏、光と影 法曹界に大きな影響

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130505/trl13050522380002-n1.htm

ところが、強気の姿勢がたたって転落する羽目に。平成14年に強引な取り立てに伴う詐欺容疑で刑事告発され、東京地検特捜部の捜査を受けた。起訴猶予だったが、廃業を余儀なくされた。19年に大阪弁護士会に再登録を申請し、法曹への未練ものぞかせたが、「弁護士会を混乱させた」として約3カ月後に撤回した。

上記の刑事告発された事件の捜査が行われた当時、東京地検次席検事は、その後に検事総長で上り詰めた笠間氏であったと記憶していますが、処分は「起訴猶予」で、犯罪事実は認められながらの不起訴ですから、弁護士を廃業させ社会的責任を取らせた上での不起訴、という手法に、賛否両論はあったと記憶していますが、笠間氏らしい手法であると感じたことが思い出されます。私は、平成7、8年当時、笠間氏が東京地検特捜部副部長であった当時、公安部から特捜部へ応援に駆り出されて、部外者の若輩者で特捜部への思い入れもなかったせいか、結構、思い切って話をする機会があり、笠間氏も気さくな人なので、飲んだ後に一緒に電車で帰りながら話をしたりする機会が割とあったのですが、当時も、捜査中の事件で、こういう、事件がうまくまとまり被疑者らの身も立つような、独自司法取引、のようなプランを考えて実行に移していて、こういう発想をするおもしろいおじさんだな、という強い印象を受けた記憶があります。中坊なんか起訴されて刑務所に行けばよかったのに、という声が、今なお沸々と湧き上がってきそうですが、笠間氏が当時、差配(おそらく、ですが)していなければ、中坊氏は、起訴、有罪が避けられなかった可能性がかなりあるように思います。その意味では、中坊氏としてはバッジが飛んでしまい不本意であったにせよ、有罪になればどうせ飛んでしまうバッジですから、運は良かった、と言えるでしょう。
ある時代を画した人間は、次の時代を生きることはできない、ということを、司馬遼太郎はいろいろな作品で繰り返し述べていますが、中坊氏は、明日の日本や司法改革に、夢を見ることができた時代に、先頭に立ちラッパを吹き幻想を振りまきながら人々を先導していた人物ではないか、という気がします。日本の今後がますます混迷し司法改革も行き詰まりを見せる中、ひっそりと世を去ったことに、時代が変わったことを感じます。死に臨んでその脳裏に去来していたのは何だったのでしょうか。