小沢氏の秘書のような被疑者に対する取調べ

特捜部が、小沢氏の秘書のような被疑者を取り調べる場合、どういう取調べになるのか、ちょっとコメントしておきます。
特捜部から見れば、描いたストーリー(「上」から指示され犯行に及ぶ)の、「上」との共謀を否認している、とんでもない嘘つきですから(本当のことを言っている、とは絶対に見てくれない)、言い分を真面目に聞いてくれる、ということはほとんどなく、ストーリーを前提とした追及につぐ追及ということになりがちです。「上」についての自白に追い込むため、供述の矛盾、変遷といったことが徹底的に突かれます。特捜部が把握している証拠と矛盾した供述をすれば、わざとそこを供述調書として残し、その後に証拠を突きつけ、供述を変遷させると、また供述調書を作成し、さらに矛盾を突く、といったことが徹底的に行われます。そうして追い込んで行くわけです。
勾留中の被疑者は、手元に資料があるわけではなく、弁護人との接見といっても1日に30分程度しかできず、長時間の取調べで、徹底的に追い込まれますから、精神的にも肉体的にも、ぎりぎりの極限状態に置かれます。そうした状態で、上記のような取調べを受け、徐々に検察ストーリーへと追い込まれて行くものです。
被疑者が割れる(自白する)のは夜が多いと言われますが、確かにそういう面はあるでしょう。夜は長く、また、人の心を孤独にするものです。被疑者が割れる時期、というものもあり、まず、勾留延長直後が、さらに10日間、勾留が延長されるということでがっくりくるので割れやすいと言われます。次が、起訴当日で、何とか不起訴にならないかと願っているところに起訴と知って、落胆したところを突かれて自白をもぎとられることもあります。私が主任弁護人を務めている元公安庁長官による詐欺事件が、正にこのパターンで、その日を、おそらく狙って、東京地検特捜部副部長が、自ら東京拘置所に乗り込んできていました。
自白に追い込むタイミングとしては、土曜日の午後から日曜日一杯、というのも狙われがちです。弁護人接見が、土曜日午後から日曜日一杯はできないことになっていて、月曜日の朝まで弁護人は来ないので、そこで、じわじわ、あるいは、がんがんと締め上げるわけです。
精神的に追い詰め自白させようとする場合、弁護人との信頼関係を破壊する、共犯者や「上」との関係を破壊する、家族等の被疑者が大切にしているもののことをことさら持ち出し早く事件を終わらせたいと思わせる、といったこと手法がよくとられます。弁護士については、「あの弁護士の言うことを聞いていてもろくなことはない。」といったことを、これでもか、これでもかと聞かされれば、疑問を持つな、というのが無理な面があり、ちょっとでも疑問を持つと、小さな穴を無理矢理大きくするように、徹底的に刷り込んできます。共犯者や「上」について、お前のことを悪者にして逃げようとしている、所詮、お前はトカゲの尻尾だ、馬鹿を見るのはお前だ、といったことが散々吹き込まれがちです。そのようにして、嘘でもよいので検事に迎合して調書を作成し、何とかその場をおさめようという気に被疑者がなると、検察ストーリーに沿った、場合によっては虚偽の調書ができてしまいます。
検察ストーリーが常に間違っているわけではありませんが、間違っていることもあり得る以上、上記のような取調べが密室で行われれば、嘘の調書が作成されてしまい、一旦、作成されると、それが独り歩きするということが当然起きてくるわけで、非常に危険であることは誰の目にも明らかでしょう。
かつての特捜部では、ストーリーを描くにあたり、かつてのロッキード事件の主任検事であった吉永祐介氏のような熟達した職人のような人が手がけていて、しかも、政治資金規正法違反のような形式犯で政治家を逮捕する、といったケチくさいことは考えていませんでした。それが、今では、時代も変わり、様々な事件についてささやかれ、批判されているように、ストーリーが安易に描かれてしまい、そこにあてはまるような証拠が無理矢理作られて行くという状況が起きるようになっています。正に「国策捜査」と言われるような事態ですが、供述によって、人の刑事責任がどのようにでもなる、という面があるだけに、非常に危険な、恐ろしい状況になっている、ということは言えるでしょう。そこにこそ、捜査の現状を改革し、真実解明と人権保障のバランスを別の形で取る必要性というものがあるのではないかと私は感じています。