自由に安全に闇討ちする権利とは?

小倉先生のブログ

http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/6d74b4c5a7c0f305ce5fa7fa46249a5d

に関連して、若干の感想めいたものを。
私は、憲法上で保障されている表現の自由が、絶対無制約なものであるとは思っていませんし、他者の権利との関係で、どこまで行使でき、また制約されるかは、慎重に検討されるべき問題で、最終的には、裁判所の判断を仰ぐしかないと思っています。ただ、何でもかんでも裁判所に持ち込むわけにも行きませんし、そういった問題について裁判所が下した判断の中で、先例としての価値があると認められるものを、関係者ができるだけ理解し、日々の仕事の中で生かして、権利侵害を最小限に食い止めるとともに、表現として守られるべきものが不当に封殺されることがないように努力しなければならないと思っています。このあたりのバランスというものは、非常に難しいのですが、難しいからと言って逃げることはできません。小倉先生にしても、私にしても、この問題から逃げようとせず、正面から取り組もうとしていることは、それぞれのブログをご覧いただければご理解いただけると思います。
人には、それぞれ立場があり、立場に応じた行動を取ることが求められます。言論の暴力により被害を受けたと訴える人の立場に立って動く弁護士、あくまで正当な言論であると主張する発言者の側に立つ弁護士、発言の場を提供したISP等の立場に立って動く弁護士、等々、それぞれがそれぞれの立場で動きます。一見、各自が勝手な主張をしているように見えますが、そういった当事者のし烈な攻防の中から、真実が見出される、というのが、戦後の刑事訴訟法の基本的な考え方であり、刑事訴訟法だけでなく、現在のあらゆる法的紛争解決の上で、根底に流れる精神と言っても過言ではないと思います。
その意味で、小倉先生が紹介されている、被害者の側に立った活動は、正当かつ当然のことですし、その一方で、小倉先生に「叩かれる」側(叩かれないように注意したいものですが)にも、それなりに言い分があり得るわけで、小倉先生が徹底的に叩くことが、叩く対象が真の意味で保護されるべき表現の自由を行使していると言えるかどうかを試すことにもなっていると私は思います。
小倉先生は、最近の、「はてな」とかライブドアの問題(住所等の登録、利用規約の変更など)について、利用者の行動に批判的な立場ですが、私は、上記のブログのコメント欄の、

これは、極めて普通の要求だと思いますが。別に要求しても、違法でないかぎり業者は変更・削除ができるし、ユーザーも耐え難ければ事業者を切り替えるだけだし。

のほうに共感を感じます。確かに、利用者は著作権について無知かもしれません。著作者人格権について、私自身も多少コメント等しているように、特段の制約を設けない著作者人格権不行使条項を利用規約内で設けても、直ちに無効とは思いませんし、今回の一連の経緯を見ていると、利用者の反応にも、やや神経質過ぎ過剰な面があることは否めないと感じています。
しかし、利用者は、あくまでサービスを利用する立場から、サービス提供者に対して、注文をつけることはできますし、そのサービスが気に入らなければ、利用せず他のサービスを選択することができるというのは、これは当然のことでしょう。もちろん、注文をつける際に社会常識を逸脱したような脅迫等に及ぶなど、違法不当な行為に及ぶべきではないことは言うまでもありませんが、そこは、利用者の「自由」が保障されるべきではないかと思います。そういった自由さえ失えば、利用者には立つ瀬がない、とも言えるでしょう。
私は、ここで、以前、小倉先生が主張された

http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/5b06616784ef9bea3cb69ea2e364c65d

の、「リスクを負う者が決定権を有する」ことの意味を、サービス提供者(「はてな」やライブドアなど)が噛みしめなくてはならないと思うのです。確かに、彼らはリスクを負っており、批判を受けようが叩かれようが、コンテンツ中の何を削除し何を残すか、利用規約の内容をどうするか、利用者からどのような情報の提供を求めるか、といったことについて、自ら考え自ら決定する権限を持っています。利用者の意見に耳を傾けるべきであるとは思いますが、すべての人が何の不満も持たずに納得する、ということはありえませんし、現在は過半数の人が反対であっても、長い目で見て、必ず利用者の利益になると確信できるものであれば、過半数の反対があっても、敢えて踏み切るべき措置というものもあり得るでしょう。ここでは、「できるだけ多くの人の意見を聞くべき」という点では民主的であるべきですが、最後の決定の段階では、何者にも影響されない、語弊を恐れずに言えば、非民主的、独裁的な意思決定が、むしろ求められていると言っても過言ではないでしょう。
そういった観点で、特に「はてな」の登録問題、利用規約変更問題や、ライブドア利用規約変更問題の経緯を見ていると、利用者の意見を十分見極めず、安易に変更を打ち出し、利用者から反発を受けると、慌てて再変更を行う、といった特徴が見られ、このようなことでは、決定の内容にきちんとリスクを反映させられない可能性が高く、また、中途半端なことをやってしまうことで、長い目で見て利用者の利益にも必ずしもならないのではないか、と強く懸念されます。
今年の9月にロンドンへ行った際、仕事の合間に、チャーチル首相が戦争指導を行っていた場所(war room)を見学し、狭い地下室でイギリス国民に呼びかけながら戦争指導にあたったチャーチルのリーダーシップに改めて感じ入りましたが、サービス提供者にも、利用者にあれこれ言われ、あっちにふらふら、こっちにふらふらするのではなく、良い意味でのリーダーシップを発揮して、利用者を正しい方向へ導いて行くという姿勢も必要でしょう。そのためにも、「説明責任」を強く自覚し、「よらしむべし、知らしむべからず」ではなく、利用者がわからない点、わかりにくい点については(例えば著作者人格権など)、わかりやすく説明し理解を求める、ということも大切だと思います。
短く済ませるつもりが、書いているうちに、やや長くなってしまいました。