毎年、この頃になると、年賀状の印刷を頼み、その年の正月やその前の2年くらいにもらった年賀状を見ながら、送付先を考える、ということをやっているのですが、年賀状をやり取りしていた人が亡くなると、当然のことではあるのですが、その後は年賀状が来なくなり、最後になった年賀状を見ながら、その人との最初の出会いやその後を振り返って感傷に浸ったりする、そういう時期でもあります。
そういう時に、もらった年賀状に、手書きでコメントが付けてあって、さりげなく激励の言葉があったりすると、こちらは何もできていないのに、こうして気にして見ていてくれたのだなと思ったりもします。今後は、こうしたことを電子メールやネット上の年賀状ですることになると思いますが、やはり、手書きには独特の良さがあり、その人の気持ちをより感じることができるものがあるように感じます。
最後は日本郵政のステマのようになってしまいましたが(ステマではありません)、人生の峠を越えて徐々に下り坂に入ろうとしていると、今まで見えていなかった、感じていなかったことが、見えたり感じたりするようになるものだな、ということも最近感じています。
2015年11月29日のツイート
@yjochi: インターネット選挙、投票をネットでやる、ということは、厳正であるべき投票手続を、人の目で見て監視する状況ではなくすわけだから、かなり、ハードルが高いだろうと感じた。現状でも不正はあるが、人が直接関与、管理しているということによる、人々に対する納得、という点は重要だろう。
@yjochi: 読書しながら羽田に戻ろう。
@yjochi: 次は、インターネット選挙に向けた展望、の分科会。