10代のネット利用を追う “青少年ネット規制法”で目指すもの〜高市早苗・衆議院議員に聞く

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/teens/2008/05/30/19771.html

青少年有害情報に関する都道府県条例の文言を見ると、「著しく猥褻」とか「著しく残虐性を助長する」という書きぶりですが、法律案では、第二条(※下に引用)のように、例示も入れながら、条例よりは具体的な表現にしています。しかし、この条文だけでは、登録通報機関や事業者の判断は困難です。例えば、残虐と言っても戦争報道は該当しないでしょうし、猥褻といっても、裸婦像などの芸術作品や医学書のイラスト、美容整形外科の広告写真なども対象にならないと思います。
基準を国が定める必要があるのかという点ですが、民間事業者に何らかの義務や努力義務を課すのであれば、少なくとも定義や判断基準については国が責任を持たなければいけないと思います。あいまいな内容の法律で、青少年有害情報に該当するのかどうかの判断も何もかも民間に任せるというのでは、事業者の負担が非常に大きくなります。

根本的に問題があると思うのは、表現の内容に関する規制は、いくら厳密さを追い求めても、曖昧さや、規制が広範にわたることを避けることができない、という発想が抜け落ちてしまっていることでしょう。わいせつ性だけをとっても、わいせつかどうか争いのなるものは多く、高市氏が「対象にならないと思います。」と言う、医学書掲載のような写真であっても、具体的な事件の中ではわいせつ性が肯定されるような可能性もないわけではありません。
「民間事業者に何らかの義務や努力義務を課すのであれば、少なくとも定義や判断基準については国が責任を持たなければいけない」という発想にも、国家あっての国民、国家が定めた枠組みの中での「健全な国民生活」という、ナチスばりの危険な国家主義的なものが垣間見え、危険性を強く感じます。

日本の法制度では、未成年者の喫煙や飲酒など、親の教育方針にかかわらず禁止されているものはあります。子どもの教育において一義的な責任者は親ですが、それがすべての子どもの安全を守るために十分に機能していない場合は、公的な関与が一部あってもやむを得ないと思っています。

「すべての子どもの安全を守るために十分に機能していない」とされていますが、法規制に訴える前に、そういった機能がはたらくための努力、制度作り、といったことはやった、万策尽きてあとは法規制しかない、という状態なのでしょうか。私には、到底そうは思えず、安易に法規制に訴え、自由で民主的であるべき日本を、不自由で非民主的な道へと進める危険な一里塚を通り過ぎようとしているような気がしてなりません。
「公的な関与が一部」と言っても、やろうとしていることは、国が親の上に立ち、親を超越、君臨して投網をかけるように根こそぎ規制をかけてしまおうという内容であり、これを「公的な関与が一部」という感覚が、そもそもおかしいでしょう。
表現の自由に関わる問題を、未成年者の喫煙や飲酒といった、無縁なものを持ち出して同列に論じようとする発想も、いかがなものかと思います。

最高裁の判決の中でも1989年に、裁判官の意見として、「子どもの保護を行なうのは、第一次的には親権者、その他青少年の保護にあたるものの任務であるが、それが十分に機能しない場合も少なくないから、公的な立場からその保護のために関与が行なわれることも認めねばならないと思われる」と述べた部分があります。全くその通りだと思います。
これは、有害な図書を自動販売機で販売してはいけないなど、業者側に一定の制限をかけている岐阜県青少年育成条例について、憲法第21条の表現の自由に違反するのではないかとして、業者側が訴えた裁判です。判決は、「有害環境を浄化するための規制にともなう必要上、やむを得ない制約であるから、憲法21条に違反するものではない」というものでした。私は、青少年の健全な育成は社会全体の役割だと考えます。

この判例を評価する上で、見逃すべきではないのは、判例の中にもある通り、問題となった規制について、最高裁が「やむをえない制約」と判断していることです。言い換えれば、規制手段として必要最小限度の制約、ということであり、そのような規制を根拠づける事情として、最高裁は、公権力による規制というものも必要な場合がある、ということを言っているに過ぎません。それを、「私は、青少年の健全な育成は社会全体の役割だと考えます。」などと言い、真の意味でやむをえないのか、必要最小限度の規制なのか、といったことを読み飛ばし、公権力による規制も必要というところだけをつまみ食いするのであれば、それは、曲解、誤解というものであり、意図的にそのようなことを言っているのであれば、国民をミスリードしている、ということにしかならないと思います。
このインタビューは、問題となっている広範な規制を導入しようとしている勢力の本音がむき出しになっている、という意味で、非常にわかりやすいものであり、それだけに、その危険性が浮き彫りになっている、という印象を私は受けました。
以前、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050814#1123959125

で触れた、ドラッカー教授の述懐が思い出されます。