http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070925-00000030-mai-soci
鳩山法相は「(執行命令書を出す)職責から逃げようというのではなく、『次は誰を執行』という話題になることがいいとは思えない。(確定の)順番なのか、乱数表なのか分からないが、自動的に進んでいけば『次は誰』という話にならない」と続けた。
我が国でも、死刑囚に対する再審が行われ、無罪となった事件がありましたが、鳩山法務大臣が言うように、「自動的に進んで」いれば、それらの人々は、再審無罪になる前に、刑場の露と消えていた可能性が高いでしょう。
私がかつて何かで読んだ話では、著名な帝銀事件でも、何度か法務大臣が死刑執行指揮書に署名しようとする、という状況になったことがあり、事件記録を精査する中で、証拠上、犯人性に疑問を抱かせる部分があったということもあって、執行には至らなかった、とのことでした(真偽はわかりません)。
帝銀事件における、そのような取り扱い(があったとして)が妥当だったどうかはともかく、法務大臣というものが、無辜の不処罰ということを最後の最後に担保する、一種の「安全弁」のような存在になっている、ということを忘れるべきではないでしょう。
以前に、本ブログでも、
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20051101#1130771935
で、
死刑執行の際、法務大臣として安易に決裁する必要はありません。事実認定に疑問があるなど、問題があれば、徹底的に問い質し、調査を命じて、疑問が解消されなければ決裁しない、ということも、時には必要な場合があると思います。
とコメントしたことがありますが、死刑制度が存置され法務大臣としてやむをえず執行指揮を行う場合であっても、人の生命に関わる以上、「自動的に進め」るのではなく、法務大臣としての職責を十分果たすことが求められている、ということではないか、と思います。