2児死亡事故で懲役7年判決 危険運転致死傷罪の成立認めず

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1603H_W2A111C1CC1000/

同罪の適用は(1)酒や薬物の影響(2)制御困難な高速度(3)運転技能がない(4)信号無視(5)妨害運転――のいずれかを満たす事例に限られる。
判決で大野裁判長は、事故の原因について「車内で流していた音楽のリズムに合わせ、宮田被告が右に急ハンドルを切ったため」と指摘。当時の走行速度は「時速70キロを相当程度上回る速度」としつつ「制御困難な高速度ではなかった」として、同罪は成立しないと判断した。
一方で、「ふざけた運転を続けた揚げ句、自動車運転の危険性を全く考えない極めて悪質な運転で事故を起こした」として自動車運転過失致死傷罪の成立は認め、同罪の法定刑の上限である懲役7年が相当と結論づけた。

幼児も亡くなる、痛ましい事故であったわけですが、危険運転致死傷罪の構成要件が、一般的に「危険」評価される運転すべてをあまねく処罰する、というものにはなっておらず、その中でも特に危険なものを、厳格な要件の下で処罰する、という内容になっているため、上記の記事にあるように、「ふざけた運転を続けた揚げ句、自動車運転の危険性を全く考えない極めて悪質な運転で事故を起こし」ながら、それが危険運転致死傷罪の構成要件に該当するとは言い難い、というケースが出てくることがあります。立法の限界、不備、官僚や学者が机上で屁理屈をこねまわした挙句の体たらく、というべきでしょう。
本件での事実認定、評価は、控訴審、上告審(が行われれば、ですが)で慎重に検討される必要があると思いますが、過失犯よりはむしろ故意犯に近く、既存の自動車運転過失致死傷罪では事案の内容に応じた処罰が困難なケース(危険運転致死傷罪では対処できない)に対処できる、危険運転致死傷罪と自動車運転過失致死傷罪との間隙を埋める新たな立法措置を、早急に講じる必要があると思います。

2012年11月18日のツイート

Siriと「Google音声検索」、性能を比較テスト

http://wired.jp/2012/11/16/siri-versus-google-voice-search-fight/

Siriが4点でGoogleが5.5点という結果になった。ただし、これは客観的なテストではなく、思いつきで質問を行った結果にすぎないことには注意してほしい。
さらにSiriは、Googleアプリと違ってiOS機器のアクションをほかにもいろいろと実行できる。つまり、タイマーの設定やカレンダーの予定作成、リマインダーの作成、テキストメッセージの送信、ツイート、通話などを行うことができる。従って、iOSでSiriを日常的に使う人であれば、Siriのほうが便利だろう。しかし、バーで議論になって正しい答えを簡単に知りたい、というようなケースであれば、Googleのほうが少ないステップで答えに辿り着けることが多そうだ。

私も、時々、Siriを使っていますが、音声を把握する精度が今ひとつである上、目指す情報を引き出せる速さや深さが、従来のキーボードによる入力操作による場合と比べ、まだまだ劣っているのは事実ですね。現状では、定型的な、あまり難しくない質問、指示に対して情報を提示する、というレベルで使うのが現実的で、おもちゃに毛が生えつつある、という感じでしょうか。
とは言え、こういったツールの持つ今後の可能性には、かなり大きなものがあり、徐々に精度が上がり、使いやすくもなって、キーボード入力がしにくい、例えば自動車運転中の情報検索のような状況では、かなり有用なツールとして重宝される、という時代が、すぐそこまで来ている、ということを感じます。今後の大化けが大きく期待されます。

小沢代表無罪確定 強制起訴では初

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121119/k10013606461000.html

検察審査会の議決を経て強制起訴されたケースは、これまでに6件ありますが、判決が確定したのは初めてです。
強制起訴の制度に対しては、検察審査会の議決が市民感情によって左右されやすいという意見や、審査の対象となっている人の主張を聞く場が設けられていないことを課題だと指摘する声もあります。また、指定弁護士にとっても検察が罪に問うことを見送ったケースで起訴し、裁判で立証することは負担が重いといった意見が出されていて、今後は制度の改善に向けた検証が求められます。

既に様々なところで、様々な人が指摘しているように、本件で、小沢氏の「共同正犯」としての責任を問うて起訴することには、執拗に小沢氏の起訴を目指していた東京地検特捜部ですら踏み切れなかったという、証拠上の難点があり、そうであるにもかかわらず、検察庁が思い描いた「絵」を鵜呑みにし、証拠の重大な欠陥(偽造かどうかはともかく、内容に正確性を欠いた報告書など立脚すべきではない証拠がベースにされていたことが既に明らかになっています)に思いを致さず、しかも、小沢氏本人の直接の説明も聞かず、無罪になる重大な可能性に無頓着なまま、裁判所に決めてもらえば良い、という安易な発想で、検察審査会が起訴相当議決に固執して強制起訴に至ったもので、改正検察審査会法の欠陥や制度再改革の必要性が、より明確になったと言えるでしょう。
刑事責任と、それ以外の責任は、峻別され、公判の場で問題にされるのは刑事責任であるべきなのに、それらをごちゃごちゃにして報道し、国民を混乱させた報道機関の責任にも、軽視しがたいものがあると思います。私は、小沢氏の支持者でもシンパでもありませんが、検察庁の思い描いたストーリーに、「メディアスクラム」状態で乗っかって小沢バッシングを繰り返していた報道のひどさには、全部が全部とまでは言いませんが、かなり目に余り、報道被害の域にまで達しているものもかなりあったと言えるでしょう。
そうした、様々な問題点が、無罪確定という結論の中で、何ら反省も教訓もなく消え去るべきではなく、今後へとつながる反省や教訓が、本件からは導き出される必要があると思います。