よろい人骨 遺跡が語る古墳時代像

http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0528.html

遺跡の10キロほど南西には榛名山があり、古墳時代の6世紀はじめに噴火したことが分かっています。4人は、このとき発生した火砕流に巻き込まれ、命を落としたと考えられています。

榛名山のふもとに広がり、1500年にわたって火山灰の下に埋もれていた金井東裏遺跡と金井下新田遺跡。2つの遺跡の調査では、古墳時代の鉄器生産や馬の飼育といった、当時の最先端の技術を伴う人々の姿が明らかになってきました。

この「よろい人骨」は、報じられるようになった当初から、私は注目していたのですが、こうして記事を読むと、周辺での発掘状況も含め、当時の人々の生活や社会構造など、様々な点を解明する貴重な資料になりつつあるようです。
生活というものは徐々に変わっていくので、遠い過去を、なかなかどこかの「点」で捉えることは難しいものですが、イタリアのポンペイ遺跡や、上記の金井東裏遺跡、金井下新田遺跡のように、突然の噴火や火砕流で(当時の人々には気の毒ですが)特定の時点で当時の生活がパッケージ化されて埋もれていた、といったことは、点で捉えることを可能にするもので、それだけに貴重なものだと思います。それは、洪水、地震などで埋没、水没した遺跡でも言えることでしょう。
今後、金井東裏遺跡、金井下新田遺跡についての研究が進み、書籍で紹介されたり展示で紹介された際には、是非、読んで、見てみたいと期待しています。