http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110206-00000001-maip-soci
確定判決によると、永田死刑囚は71年12月〜72年2月、群馬県の山岳アジトで「総括」と称し、仲間を殴打したり厳寒の戸外に手足を縛って放置するなどして計12人を死亡させた山岳アジト事件や、グループから離脱した男女2人を絞殺した印旛沼事件などで殺人罪などに問われた。
私が法学部在籍当時に刑事訴訟法の講義を受けた先生が、上記の事件の1審を担当されていて(既に亡くなりましたが)、公判の際のことが講義で時々話されることがありました。また、検察庁に入った後にも、連合赤軍事件の捜査を担当した検事正の下で仕事をしたことがあり、その当時の思い出話を聞く機会がありました。最近では、あさま山荘事件のほうがクローズアップされる傾向がありますが、連続殺人事件も、当時は大きな衝撃を生んだもので、私はまだ小学生でしたが、今でも大人たちが騒然としていた様子は思い出すことができます。
あの時代の日本は何だったのか、また、法秩序を逸脱してまで人々が目指していたものは何だったのか、ということを、改めて感じるものがあります。