明石歩道橋事故、免訴判決の要旨

http://www.asahi.com/national/update/0221/OSK201302200174.html

元副署長が午後8時ごろの時点で、歩道橋内の雑踏状況が明石市の自主警備では対処できず、警察による規制が必要な段階にまで至っていることを認識し、事故を予見できた疑いがあることは否定できない。
しかし、現場に配置していた警察官から、現場は混雑しているが、歩道橋へ流入する観客を規制する必要はないとか、特異事項はないといった報告は受けていたが、警察による歩道橋への流入規制が必要であることをうかがわせるような報告は聞いていない。署内のテレビモニターの映像でも、歩道橋南側階段上の観客がゆっくりと階段を下りるのは確認したが、歩道橋の側面が曇っていて、歩道橋内部の観客の混雑状況を直接確認することはできなかった。
元副署長がその時点で規制の必要性を認識し、事故の発生を具体的に予見できたと認めるには合理的な疑いがあり、過失を認められない。

元署長の策定権限の行使が適正でなかったといわざるを得ず、補佐する元副署長の指導監督権限の行使も不十分であった疑いがあることは否定できない。
しかし、警備計画の策定までに元副署長が予想できた事情は抽象的な危惧感に過ぎず、これらの事情によって直ちに事故の発生を具体的に予見することができたとはいえない。従って、警備計画の策定において元副署長が事故を予見する義務があったとはいえない。

警備計画に不十分な点がなければ必ず事故が発生しなかったということはできない。警備計画の策定に関して元副署長が権限を十分に行使していれば事故の発生を回避できたとはいえない。そもそも元副署長の権限行使と事故との因果関係も認められない。

昨日、神戸地裁で判決が宣告された、明石歩道橋事故の判決要旨(要旨のさらに要旨、という感じですが)ですが、証拠関係を見ていないので印象的にはなるものの、当日の過失については、認定が難しそうである、と思いました。現場から離れた場所にいた副署長(当時)にとっては、状況を把握し必要な指示をする、ということは困難であった、ということには、それなりに首肯できるものがあります。
しかし、だからこそ、事前の警備計画を的確に策定すべきものであり、署長(当時)の責任を指摘しつつ、署長を補佐する立場にあった副署長について、「警備計画の策定までに元副署長が予想できた事情は抽象的な危惧感に過ぎず」とする判決の認定には、率直に、疑問を感じます。また、警備計画の不十分さと結果発生の因果関係を否定する点も、事前の警備計画策定の重要性にかんがみると、その点を軽視し過ぎているのではないか、という批判が当然あると思います。これでは、適当、いい加減な警備計画にしておいて、あとは、出たとこ勝負で警備する、ということを是認することにもなりかねません。人の流れには、確かに予想が困難な面はあっても、過去の雑踏警備の知識、経験を踏まえつつ、本件のように歩道橋上で多數の人々が滞留してしまうような事態は厳に避けるのが、警備計画作成の目的であり、そこは直視される必要があります。
ただ、判決要旨や、当日の判決の状況に関する他の資料も読んでいて私が感じたのは、元副署長と、有罪になった元地域官に、共同の注意義務を認め「過失犯の共同正犯」を肯定するのはかなり無理がある、ということでした。両者の立場の違い、職責の違い、担当していた業務内容の違いに照らすと、本件は、そもそも過失犯の共同正犯の事例ではなく、過失の競合、という捉え方をすべき事件でしょう。その意味で(過失犯の共同正犯が成立しなければ元地域官の起訴から確定までの間に時効は停止しないので)、免訴、という判断自体は、今後の上級審での判断は注目されるものの、避け難いのではないか、と思われます。
そうであるからこそ、元署長、元副署長の刑事責任を不問に付し、再三にわたる検察審査会の起訴相当議決に従わず、公訴時効を成立させてしまった神戸地検の措置は、厳しく非難されるべきではないかと思います。元署長、元副署長についても捜査を尽くして、起訴することを積極的に検討するべきケースであったと私は考えています。