http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2009123002000070.html
試験制度は、現在約二万人ほどの公認会計士の数を一八年ごろまでに五万人とすることを目指し、〇六年に導入した。三段階五回の試験を一段階二回に簡略化。従来は大学教養課程程度の知識が必要だったが、これも問われなくなった。現行制度で受験者は合格の前か後に「二年以上」の実務経験を監査法人や企業で積む必要がある。その後、日本公認会計士協会の修了考査で認められ資格を取得できる仕組み。合格していても研修中は「公認会計士試験合格者」などとしか名乗れない。
金融庁は今年の合格者のうち数百人が内定を取れないと予測。実際には十二月中旬で、合格者約二千人のうち六百人超が内定のない状態だった。
試験制度の再見直しにあたり、金融庁は来年以降の合格者数を「合格者の活動領域の拡大が進んでいない状況から、対応策が実施されるまでの間、二千人程度を目安とすることが望ましい」と当面、抑制する方針を示した。
過ちのプロセスが司法試験と驚くほど似ていますが、結局、日本人がやっていることなので、別の資格でも同じ過ちを犯してしまった、ということなんでしょうね。
以前から、本ブログでも何度か言っていますが、私自身は、司法試験の合格者を大幅に増やしたこと自体が間違っていたとは今でも思っていません。毎年の合格者を3000名ではなく、5000名とかそれ以上にしても良いのではないかとも思っています。
ただ、問題は、増やした合格者が実務に入った際に、それに見合う需要というものがなければ、干上がる人が続出するのは当然のことで、司法の世界の需要というものは様々なことで困っている人に大きくあって、しかも、困っている人であればあるほどお金がないものなので、公的な資金を思い切って大きく、そういった人々のために投入すべきであった、それが行われなかったが故に、需要が潜在的なままになってしまって、供給過多に陥ってしまったと考えています。弁護士が増えれば枯れ木に花が咲くように需要(潜在的なものではなく顕在化した)が生まれる、ということになるはずもなく、そのあたりのことを、司法改革、司法改革と熱心に叫んでいた人々がどう考えていたのか知る由もありませんが、現状に照らした場合、間抜けぞろいであったと言われても仕方がないでしょう。
実務や実態を知らない学者や役人は、記事にあるように、「合格者の活動領域の拡大が進んでいない」などと抽象論でお茶を濁して終わりにすればそれで済んでしまいますが、過大な合格者を出す前に、目に見える形で合格者の活動領域を拡大させる、端的に言って必要な公的資金を投入するということを、まず先にやっておくべきだったと今になって言っても後の祭りというものです。